週間でんがなまんがな 臨時増刊号
(9月8日発行・12月8日最終更新)

目次
(クリックするとその場所へジャンプします)
・「震災被災者個人への公的支援政策ワークショップ(第1回目)」に参加して(09/08)
・「震災被災者個人への公的支援政策ワークショップ(第2回目)」に参加して(09/30)
・公的補償を求める有志の会ニュース 第1号(09/)
・公的補償を求める有志の会ニュース 第2号(09/28)
・公的補償を求める有志の会ニュース 第3号(10/12)-12/08記
・ワークショップ第一回 論点の整理-12/08記
・ワークショップ第二回 論点の整理-12/08記
・ワークショップ第三回 論点の整理-12/08記
・「阪神・淡路大震災への更なる支援と災害対策の新たな制度に関する緊急提言」(11/27)-12/08記


「震災被災者個人への公的支援についての政策ワークショップ(第1回目)」に参加して

−9月7日に行われた第1回ワークショップに参加しました。その時にとった メモを元に私なりに論点をまとめましたので、ここにアップします。−


□ このワークショップの主旨

様々な団体がいろいろな方法論で個人補償について提案しているなかで、国に 対する要求や提案を比較・整理し、具体的なものとして一本化したいとの話から 「公的補償を求める有志の会」が結成され、第1回のワークショップが9月7日 に尼崎で開催された。
市民が専門家と手を組んで、単なる要求に留まらず、具体的で実行可能なプラン を提案できないかというのが、「有志の会」の基本的な考え方である。
この半年の間に大きな政治的な変動が予想される現在、大きなチャンスが到来し ているといえる。(沖縄と震災復興は別枠予算との発言も出てきている。)

□ 日本は資本主義社会だから個人補償はできない?

震災の直後からこういう話が当時の村山首相を初めとした政府要人から次々と 出てきた。しかしこれは明らかにまちがいである。例えば「資本主義の盟主」で あるアメリカのサンフランシスコ地震の際、約3万ドルの現金が被災者に配布さ れている。彼らは、その金額を被災者に与えることで、多くの被災者が日本で言 うところの生活保護家庭になって社会の大きな負担になることを防ぐことができ、 経済的な効果も大きいので充分採算がとれるという合理的な判断の元にこのよう な措置を行っている。(年収の2〜3年分のお金が有れば生活を復興できるとい うのがその金額の根拠である。)
日本では、当時住専問題を含めた金融不安の解消のために莫大な財源が必要であ ることが予想されたため、被災地への税金の投入を極力避ける必要があり、あの ような対応をしたと考えられる。そこには御用学者や尾ひれを付け、マスコミが 宣伝するといういつものパターンが見られる。

□ 何も整理されていない − これは被災者の責任でもある

大災害に出会って個人の生活基盤が破壊されたとき、国が何をすべきか、被災者 は何を要求できるのかといった議論が全く整理されていない。 次に同じ様な災害が起こったとき「神戸でも何もしなかったのだから」と、個人 の生活を復興させるような公的支援は一切なされないことが予想される。
我々被災者は「相変わらず日本人は忘れっぽい」とか「マスコミは飽きっぽくて 困る」とかいった結論で終わってはならない。

□ 法的側面

「個人補償はできない」というのは、そういう法律がないということを言ってい るわけだが、災害救助法に「知事が必要と認めた場合は金銭を支給してこれ (救助)をなすことができる」といった条文がある。
この災害救助法が従来余りにもマイナーというか目立たない法律で、その内容は 殆ど知られていなかった。神戸市が行った救援活動の経費を国に請求できること を誰も知らなかったということでも、その事実が浮かび上がる。こう言った法律 の検討の前に先ほどの「資本主義社会云々」で、いわば機先を制せられたという のが本当のところではないか。
ただし、法律があったにも関わらず役に立てることができなかったということに ついて、専門家は反省すべきである。

□ 必要な金額

様々な団体が提案しているが、全壊家屋500万円、半壊家屋250万円という ことで全体で2兆円以下。復興予算として10兆円程度が見込まれているので、 充分に可能性のある話であり、今の国家予算(国債を含む)規模からすると、極 小さな額ともいえる。「そんなことしたら国が潰れる」というのは全くのデマ。

□ その他

相変わらずの「箱モノ重視」:道路や鉄道などの公共施設復興第一主義で、個人 の生活の復旧は視野に入っていない。
どうなった義捐金:全国から寄せられた支援金のうちまだン100億円のお金が 眠っている。もともと個人的に寄せられた義捐金が行政の窓口を通して「ありが たくいただくように」と言わんばかりに配られることの異常さ・・・アメリカ人 は「Oh crazy!」と言ったそうだが、考えてみるとそりゃそうだ。
「公」「共」「自」:公的支援は税金を使っての支援。「共」とは保険制度のよ うにみんなでお金を出し合って、困った場合に備えること。「自」は自助努力。 今回の復興でも、新たな保険制度の提案もされているが、「公」とは別に検討し て、「公」「共」の両面から支援していくのが望ましいのではないか。


「震災被災者個人への公的支援についての政策ワークショップ(第2回目)」に参加して

−9月21日に行われた第2回ワークショップに参加しました。その時にとった メモを元に私なりに論点をまとめましたので、ここにアップします。−

今回は,島原の被災者支援活動の中で実質的には個人補償といえる助成金を引き出 す活動を進めてこられた福崎氏(九州弁護士連)から興味深いリポートがあった。 (用意された質問に答えるという形で進行。ここでは発表し難いものもあった。)
#例によってとりとめのないリポートで申し訳ありません。

・自治体との関係:自治体の担当者は現場を見ており,住民側の意識を持ってい ないはずはない。行政とベッタリはまずいので喧嘩も必要だが,お互いの立場を 理解することが必要。
島原市は混乱の中で対応能力はなかったので,県にプレッシャーをかけ,県が国に 要求を出すという構図であった。

・今最も真剣に考えるべき防衛の対象は,ロシアでも北朝鮮でもなく,自然災害で ある。市民の立場から「共助」は不可欠。(日弁連では相互扶助と呼んでいる)

・命の問題は眼に見えるが,お金の問題は眼に見えないところが難しいところ。 これをわかってもらう,伝えていく努力が必要。 自助努力する土台すら無く,なんらかのお金を引き出すのが目的である状況で, 可能性の高いものを一体となってやるべきである。

・公的支援を考えるとき,「自分たちが助かる事」は「将来国民全体が助かる事」 であるという訴えが大切。「理想」と「現実」の2本柱で進めるべきである。 すなわち,目的はお金だがそれを被災者の口から出さず,「理想」でカモフラージ ュしながら,個人補償を獲得していくいう現実的なアプローチが必要。 特別立法というのは「自分たちだけが良ければいい」という側面がある。

・自然災害に「補償」と言う言葉は法的にはなじまないのではないか。島原の場合は 「警戒区域」設定による損害(警戒区域に指定された為に,目の前で飼っていた鶏が 餓死していくといった損害)を突破口にした。そこに行政にも「負い目」があった。

・「将来の生活再建のため」ということなら話は通り易いのではないか。ただ, 全く収入の無い人には対応しやすいし,金持ちも問題ない。中間層が問題で境界線 を引くのが困難。現実的にそういった人達への目配りがないと力にはならないので あまりこだわらずにやるべき。

・どんな制度にしろ,東京で起こることを前提としなければならない。基金では まかないきれるか疑問。

・東京で起きたときに核になりそうな市民団体との連携が必要。「あなたの問題」 というのがインパクトを持つのは東京である。東京が動けば全国的な展開に広がる 可能性が高い。(「東京は冷めすぎている」VS「兵庫県は当事者すぎる」・・・) 関東でもいろんな動きがあり,また「票」にも結びつくとの話もあった。

・「今これだけ困っている」+「これはあなたの問題でもある」という両面からの 訴えが必要。

恒例のQ/Aで前回は「公助」,今回は「共助」で,どちらがよいかといった話が あった。「公助」は国の責任を問う,国家賠償的な意味合いを持つが,個人的には 国の責任を問う形というのはなかなか困難だと思う。
今回集まった全国からの義援金の額は,もはや「お情け」ではなく,助け合う必要性を 感じる国民が増えてきていることを示しているとの意見や、沖縄方式の県民投票の提 案など,活発な議論があった。

今回のワークショップでの議論は以上のようなものであった。ところで,衆議院が 解散し,沖縄問題を始めとした懸案事項にいろんな動きが見られ るのに被災者支援の動きが見えない。国会議員への働きかけなどの努力の必要性が 必要ではないだろうか。

#なお,次回のワークショップは10月12日あたりを模索中とのことでした。情報 が入り次第アップするつもりです。
また、ニフティサーブのフォーラム:FACTIVE第15会議室にも情報を アップしています。



公的補償を求める有志の会 ニュース No 1

目次

   (1)「被災者責任というもの」 (松村直人)
   (2)「高速道路と港は復興、暮らしは絶望」 (酒井 道雄)
   (3)「共同作業の呼びかけ」 (事務局)
   (4)「被災者は政治に何を要求できるか」 (酒井 一)
   (5)『バイデンに セキタン燃やす スカタンや』 (大山田五郎)

(1) 「被災者責任というもの」

東京にでもおもむく機会があれば、ためしに「神戸から来ました」と 挨拶してみよう。相手はきつと気の毒そうな顔をして、「地震はたいへん だったでしよう」と話してくれるだろう。けれどもこの愛想をうつかり真 に受けて、震災当日の様子や仮設住宅の現状を語りはじめるのはヤメた方 かいいかもしれない。相手の表情はみるみるひきつり、すぐに「ヤレヤレ、 まだそんなこと言ってるのか」といわんばかりのウンザリ顔に切り替わるの は、目に見えている。
◆阪神・淡路大震災の発生から1年半を経た。被災 地以外に住む人々にとってはもちろんのこと、被災地に住む市民の人多数 にとつても、もはや震災はなつかしい想い出の1ページになりつつある。 私たち被災者の経験はどこまでも個人的な記憶としてだけ残り、今後の何 かに活かされる経験、社会的に共有された経験として蓄積されそうにはな い。どうしたものか。
◆「被災者責任」というものがあるような気がする。 つまり、ここで私たち被災者が、「相変わらず日本人は忘れっぽい」とか 「マスコミは飽きっぽくて困る」という、いつもの結論を持ち出していい のだろうか、ということである。私たち被災者にはこの震災のあらゆる事 実を全国・全世界に発信する責任があるのではないか。しかも、あきられ ない形、なかなか忘れられない形、誰しものこれからに活かしやすい形で、 私たちの被災経験を社会全体の経験として再構成してゆく責任があるので はないか。私たち被災者以外に、この「責任」を負うことのできる主体は どこにもいない。(松村仁人)


(2) 「高速道路と港は復興、暮らしは絶望」

生活再建へ公的資金、仮設の環境改善、元に戻れる住宅プラン
   酒井 道雄 (神戸学院大学 講師)

被災後1年半、被災地のくらしは絶望的だ。行政はコンテナ港や高速道路の 復旧、大企業の業績回復を”復興”の証しとPRし、被災地でも”被災”をロ にすることをためらう空気が生まれている。被災地外の人々の関心はいつ起 こるかも知れないわが身の災いヘの対応に移りつつある。
国内に限らない。6月はじめから2週間、イスタンブールで用かれたHAB ITAT(第2回国連人間居住会議)でも「2年で復興するコウベはすばら しい。さすが世界一の金持ち国ニッポンだ」と復興の早さを賞賛する声が聞 かれた。政府や神戸市のPRを,額面通り受け取つた現地紙報道によるものら しいが、現実は経団連関西会員懇談会で貝原県知事が認めたとおり、復興は 「一定の段階で停止」している。6月20日、政府は「元の地域に戻りたい」 という被災者の願いを切り拾てる復興公営住宅計画を発表した。自殺と孤独 死など認定されていない,震災関連死は2千人を超えるという報道ある。 人間の命とくらしを切り捨てた復興を”復興”と呼べるのだろうか。

大企業は震災損失一掃、新規事業展開へ

日本銀行神戸支店は六月七日、県内の製造業の業況判断指数が全国平均値 に並んだと発表した。「調査対象の多くが大手、中堅であるため、統計に 出てこない中小零細企業の実態は見えにくい」とことわりながら、「震災 以後立ち遅れが目立っていた製造業の全国との格差は解消した。景気回復 の道筋が徐々に出来つつある」と分析している。確かに神戸製鋼所、川崎 重工業、川崎製鉄など神戸市に本社を置く大企業の大半は前三月期決算で 震災の損失を一掃してかなりの利益を計上するなど、業績の回復はめざま しい。東部臨海地域の工場跡に石炭火力発電所を建設し大阪ガスや関西電 力と共同で地域冷暖房事業を始める神鋼、新日鉄と共同で電力事業に進出 する川崎重工など、大企業は新規事業にも積極的だ。倒壊した阪神高速道 路神戸線は予定より一カ月早く九月未に開通、神戸港のコンテナ埠頭は来 年二月末には100%回復する。笹山幸俊.神戸市長や貝原俊民兵庫県知 事は、被災者そっちのけで神戸空港建設や「上海・長江交易促進プロジェ クト」に全力を挙げている。
だが、地元経済は大企業と食品関連中堅企業などを除けば依然回復してい ない。神戸商工会議所は「震災で神戸市外に事業所を移した企業の六割が 神戸に復帰した半面、残る企業の半数はいまだに復帰時期を決められない でいる。復帰を断念した企業が全体の5.5%、再開の難しさを浮き彫りに している」と説明している。地場のケミカルシユーズ産業はもちろん、店 舖を再建した商店街など地元との密着度が強いところほど売り上げ不振に 苦しんでいる。肝心の客が地元に戻らないためだ。

被災市民は”家なし、カネなし、ケアなし”

被災市氏の暮らしはどうか。
43000戸の仮設住宅(以下「仮設」と略)の入居者数は現在約八万人。 「避難所を出て仮設に移らなければ公営賃貸住宅への入居は認めない」 「仮設へ行けば生活保護を与える」などと説得されてやむなく移つた人が 大半だが、入席後数ケ月も経たないうちに家賃無料の仮設を離れ、無理を してアパー卜や貸し間などに移る人も少なくない。勤め先や通い慣れた病 院まで一時間半〜二時問もかかる遠隔地では、生きて行けなための脱出だ。 仮設で暮らす高齢者や介護の必要な障害者に対するケアは、平均1.2週問 に1回程度訪問するボランティアや自治会任せ(神戸市の場合)。その努力 にもかかわらず無カ感、絶望感は深まり、病状悪化による 入院や自殺、孤独死が統出している。五万世帯、十万人を超えるといわれる 県外避難者は行政の属地主義によつていまだに放置されたに等しい状態にお かれている。コミュニティが破壊されたあともテントや学校などて生活する 約400人の被災者は救援組織に支えられ「居住権確保」の声をあげ統けて いるものの、不安は隠しようもない。兵庫県が仮設住宅の居住者を対象に実 施した調査では全体の約八割が震災以前に住んていた旧市街地に戻ることを 望み、九割を超える人が「仮設を出るメドはない」と答えている。家族全員 の総収入は「三百万円未満」が七割、うち「百万円未満」は全体の三割で最 も多い。絶望的な状況が深まる中で「仮設の生活は厳しいが出来ることなら 多少でも訓染みのできた仮設にこのまま住み続けたい」という諦めの声まで 出始めてる。

「もとの地域に戻りたい」願いを切り捨てた住宅プラン

六月二十日、政府の阪神・淡路復興対策本部は九八年度までに38600戸 の公営住宅を供給すると発表した。これによると神戸市関係分は26100 戸で、長田区を例にとると、滅失20300戸に対し公的住宅は再開発系住 宅を含め2300戸(うち市営住宅は294戸)、滅失棟数に対する比率は 11%に過ぎない。大半は遠く離れた北区、西区や新しく造成された馴染み の簿い地域に建てられるという。必要戸数の計算はあいまいだし、鳴り物入 りで打ち出された家賃補助の期問は五年問で厳しい所得制限付き、貝原知事 は「(兵庫・長田区は)かねてから有数の過密地域。通勤や通学園を考える と(「もとの地域に帰りたい」という住民の要求を)限定的に考える必愛は ない」と被災者の切実な願いを切り捨てた。憲法や世界人権宜言が規定し、 HABlTATIIで再碓認された「居住の自由」「居住の権利」を否定する恐ろし い発言だ。復興にとって欠かせない住氏参加を無視した行政の作文の限界と はいえ、これではくらしはもちろん、まちの復興も不可能だ。

八千人を超えた?震災死者

昨年末頃から被災者は厳寒の中で堰を切ったように「公的援助」をロにし始め た。42団体で構成する救援復興県民会議が昨年五月から始めた公的支援を求 める署名はうなぎ登りに増え、現在数は66万人、各団体の署名を総合すると 要求は完全に被災地全体の世論になった。 5月末、兵庫県は震災関連死に関する衝撃的な数字を公表した。「直接死54 80人、自殺・孤独死を含む関連死799人の合計6279人と報道されてき た死亡者数は実際より少なすぎる。人工減少を考慮に入れ年間死亡率0.72% を乗じて推計すると震災死は8000人を上回りそうだ」という。地元新聞は 「被災者の健康被害と心労の重圧が懸念されるなか、関連死にも計上されない まま多くの死者が出ていることを示している」と解説した。仮設住宅では、窓 を開け放しても四十度を超える室内で、生きることを諦めた高齢者たちが、 ”死体”のように手足を投げ出して横たわっている。 健康被害と心労、生活苦の三垂苦が生む関連死は増え続ける。今すぐ必要なこ とは、(1)生活再建のための公的資金の給付 (2)仮設住宅の殺人的居住環境の改善 (3)元の地域に戻れることを保証する「復興住宅計画」を住民参加で練り上げ、 被災者に安心を与える−の三つだ。実現が2年や3年先に延びてもよい。大切 なことはこのロが「大災害にあつた国民を見捨てないと保証すること」「その 保証を形に表わすこと」だ。被災者の願いは山ほどある。しかし、今は被災者 団体、支援団体が要求をギリギリのところまて絞り上げ、心を合わせて政府に 迫る時だ。
(文中の資料は、被災地で発行されている日刊各紙の記事から引用した)


(3) 阪神・淡路大震災の被災地・被災者からの公的補償を求める政策提言に向けた 共同作業の呼びかけ

〜「カイショウ」主義を超えて〜
池田啓一(「有志の会」事務局・都市生活地域復興センター準備会)

 阪神・淡路大震災の被災地ではさまざまな団体や個人が、それぞれの立場か ら国に対して何らかの「公的支援(の拡充)」や「公的補償」の必要性を訴え てきました。「阪神生活再建の会」の大胆かつ直接的な行動に代表されるよう に、被災地から声が上がってきたことによって、国もようやく重い腰を上げよ うとしています。しかし第一のハードルは越えつつあるとはいえ、諸運動団体 にとってまさに正念場はこれからです。  現在、被災地では自治体としての兵庫県そのものも含めていくつかの団体が 旧来の枠を越えた新たな災害対策のしくみの創設(と阪神淡路へのそ及)を提 唱しています。また、「大震災 声明の会」からは新たな制度確立は市民立法 で行うべきだとの重要な提起がなされています。しかし、それぞれの提案が独 自の具体性と体系性をもち、異なる運動基盤に立脚しているがゆえに、それら 諸提案の理念と現実性をすり合わせ、「被災地案」として一本化することはな かなか難しいといわなければなりません。現状は、いわば相互に独立したいく つかの島宇宙が宇宙空間にポッカリ浮かんでいるようなものです。そして、被 災地の外に一歩でも足を踏み出せば、それら個々の島宇宙も夜空にきらめく無 数の星の一つにしか見えないのです。だからといって島宇宙間の交通が不十分 なままにどこかが要求の一本化を図ろうとすれば、密室での根回しばかりが横 行し、最後にものをいうのは力関係だった、という不幸な結果に終わってしま う可能性があります。例えば、私たちは行政が進める区画整理事業などにはっ きりと現れた、都市計画法体系のもつ中央集権制のアナクロニズム(時代錯誤 )を決して忘れることができません。  三万八千六百戸の災害復興公営住宅の建設プランと家賃補助の決定は確かに 一つの前進でした。けれども、国と行政にこのような施策をとらせた最大の動 機は、生活しているものの論理は二の次で、何がなんでも一刻も早く仮設住宅 をなくせという仮設の「解消主義」であり、これは避難所のときからの「伝統 」です。さらに、住宅はあくまで「資産」であるべきであり、資産を築く甲斐 性のない者には救貧政策として公営住宅を供給するという、もう一つの「甲斐 性主義」が国の発想と行動の基底に横たわっています。国の支援策が、今後も 従来の施策の延長上に打ち出されてくるならば、それはこの二つの「カイショ ウ主義」に沿ったものにならざるを得ないでしょう。カイショウ主義にはそれ なりの現実的な根があるからです。しかるに今求められているのは、カイショ ウ主義の枠を大胆に踏み越えた新たな発想にもとづく支援策なのです。おそら く、個別の要求の単純な総和でもってカイショウ主義を乗り越えることはでき ないでしょう。個別の要求をまとめて中央の審議会にまかせきりにするのでな く、私たち生活者(とその全国の仲間)の参加と協力によって、震災の経験と 反省をもとに、市民社会の成熟を前提にした相互協力にもとづく地域づくりの 総体的なビジョンを明らかにし、与えられた現実の中でそれを実現するために 具体的な政策を提言することが、二つのカイショウ主義を解消するための、一 見迂遠に見えるがもっとも確実な道であると考えて私たちは集まりました。  私たちは要求の完全な一本化が必要だと主張しているわけではありません。 むしろ、さまざまな利害が錯綜する大都市からの要求の発信には、ある幅があ ってしかるべきだと思います。しかし忘れてならないのは、公的補償を求める 運動は全国の人々の心を捉えなければならず、しかも、それは短期決戦の一本 勝負であるということです。今緊急に必要とされているのは、諸運動団体間の 交流と討論を通じて、国に対するさまざまな要求・提案を比較整理し、それら のよって立つ基盤と現実性と実効性を検証し合い、より具体的なものに仕上げ ていくという共同作業です。この共同作業なしの「超党派の動き」とは被災地 の外から見れば「バラバラ」を意味します。「誰のどのような状態を、いつか らいつまでに、どのような政治的・財政的・法的・事務的手続きを経て、支援 するのか」…カイショウ主義の克服の理念という、住民・学者・専門家・地方 自治体・政治家の共同作業として、この問いに具体的に答えうる政策(諸案) を被災地・被災者から国と全国の人々に提示すること、これがいわゆる公的補 償の本気で実現を目指す者の課題であると私たちは考えています。そのために やるべきことは山のようにあるでしようが、とりあえず、生々しい運動の現場 からほんの少しだけ身を引いて互いの論点を検証し合う場が必要だと思われま す。そのための研究会やシンポジウムの開催を当面の目標として私たちはささ やかな努カを傾けようとしています。心あるみなさんの参加を呼びかけます。  巨大な一つの輪をつくることは必ずしも必要ではないでしょう。輪を次々に つなげていくこと、このことが大切だと思います。秋風が吹く頃には政治の季 節がやってきます。その時に「研ぎすまきれた多様な戦術、一つの心」が実現 していなければ、勝利の女神がわれわれに微笑みかけることは決してないでし よう。


(4)被災者は政治に何を要求できるのか。

酒井一(尼崎市市議)

 昨年五月、私が長崎県島原市で被災地の一年後、二年後を学んで帰ってきて 、「被災者の生活再建への公的支援は是非必要だ。どうすればいいのか。」と 考えていた頃、「被災者の個人財産の補償を」と訴えていた人々がいた。しか しこれは、「芦屋の大きなお屋敷まで税金で補償するのか」との反発を買うこ とになる。次に「補償」。これには、被災に関する政治・行政の責任を問うと いう意味がある。政治に責任はあるだろうか…、ある。後でも述べるが、日本 の住宅政策は間違っていた。都市計画も開発主義に偏していた。その結果、人 々は耐震性に欠ける古い住宅の下敷きとなって死に、生き残っても家を失った 。しかし、この行政責任を問うことと、被災者への公的支援を求めることは、 少なくとも入り口においては別なことである。
 阪神・淡路大震災の被災者は、世界中が目を見張るほどけなげに「自力復興 」に取り組んできた。しかし、半年、一年を経るにしたがって、被災者は「自 力復興」の壁に仕方がない」との考え方が被災者の中にも強くある中で、この ことが被災者での議論の主なテーマとなってきた。
(1)「自然災害は、自力復興が原則」
(2)「私有財産は自己責任」
(3)「住宅の確保は個人の甲斐性」
 被災者の生活再建への公的支援、個人補償を拒む論点は、概してこの三項目 の主張に集約される。以下、少し議論してみる。  (1)について。私も雲仙に行くまでは、そう考えていた。当時の村山首相が、 「我が国は私有財産制の国であり、個人補償をする制度にはなっていません。 」と、国会で答弁していたことが印象に残っている。しかし、島原の人々はす でにこれを突破していた。「雲仙岳災害対策基金」が、それである。この基金 は、当時六三〇億円。その運用益(利子収入)で、被災者への個人給付などが 行われた。持ち家の再建をする人に三百万円、再建をあきらめて賃貸住宅に入 居した人に二百万円、それに義援金を原資に設定された市や町の基金から同程 度の助成が上積みされている。注目すべきは、この「基金」の運用システムで ある。「基金」の原資の大半が県の起債=借金であり、県はこの起債でえた原 資を「基金」の財団に無利子で貸し付ける。財団は、この原資を運用した利子 で、さまざまな事業を行う。県は起債=借金の利子を払わなければならないが 、その利子の九十五%は国が地方交付税で県に支給される。
 ややこしいが簡単に言うと、国の金(税金)が「基金」を通して被災者の住 宅確保のために支給されたのである。つまり、自然災害からの個人の復興に国 の税金の支給が行われたのである。島原の人々の地域ぐるみの要求が、全国の 世論を巻き起こし、「自力復興の原則」はすでに破られていたのである。  (2)について。私有財産の補償を要求するわけではない。自由競争社会にあっ ても当然保障されるべき「スタートライン」が存在するはずである。住む場所 を失い、地域社会から切り離された人は、再出発のためのスタートラインにつ いたとは言い難い。自由競争の国・アメリカにおいても、災害被災者に一万ド ル規模の支援が政府によって行われたという。自然災害によって、本人の責任 によらずに大きなハンディキャップを負った人に、最低限、住居と生活資金を 支給することは、私有財産制や自由競争の考え方に触れるものではない。  我が国の災害対策が個人の自助努力にまかされて放っておかれていたのだと すれば、この戦後最大の自然災害を契機に、そのあり方を改めようではないか 。地震、台風、噴火、洪水等々、この島国に自然災害の絶えることはなく、全 国民にとって阪神大震災は「明日は我が身」なのだから。国や自治体は、その 被災者を元のスタートラインに戻してあげるための支援を躊躇すべきではない 。否、それはむしろ政府としての本来の仕事でさえある。
 (3)について。阪神大震災は我が国の住宅政策の誤りを露にした。我が国の住 宅政策は、「住宅は個人の甲斐性で確保すべし」を基本としていた。住居の公 共性は顧みられず、高い地価・家賃は放置され、その下で多くの国民は高額の ローンにあえぐか、民間の劣悪な借家に甘んじるかの二者択一を強いられてい た。そして、そうした耐震性に乏しい住居が壊れ、多くの人々が命を落とし、 住居を失った。
 「住まう」ということの公共性を今こそ見直すべきである。「住宅は公共財 であり、社会資本である」との考えの下に、土地・住宅への全面的な公共性の 付与を本気で考えるべきことを、この震災は私たちに警告してくれた。  国や自治体も、被災地の現実の前に今まで通り(1)(2)(3)をくり返している訳に はいかなくなっている。家賃助成、住宅再建助成が、打ち出され始めた。しか し、場当たり的で小出しの対策は、我が国の自然災害被災者への政治のあり方 を根本的に改めるにはほど遠い。被災地市民からの要求を提言としてまとめ、 その実現を迫ろう。私たちは自信を持っていい。この仕事は、決して「被災者 のエゴ」などではなくて、貴重な教訓に基づく、この国の未来への提言なので ある。
※有志の会では、現在提案されている制度案について、それぞれの制度案の政 策立案にかかわった方をお招きして、その政策の理解を深め、検討を加えてい くワークショップを計画しています。このようなことを重ねることで、何かま とまった結論を導き出せたらと考えています。  しかし、私たちだけでは、手に余ることもいくつもあり、さらに多くの方の 協力を必要としています。ご関心をもたれた方は、この私たちの試みにご参加 いただきますようお願いいたします。  また、具体的な日時等が決まりましたら、お知らせいたしますので、当日の ワークショップにもご参加いただきますようお願いいたします。

「雲仙岳災害対策基金」

 1991年に始まった雲仙普賢岳の噴火災害の時も、今回の阪神・淡路大震災と 場合と同じく、国の災害対策というのは、既存の法律・制度の枠内にとどまる ものだったと言えます。確かに制度・法律の弾力的な運用や拡大適用などが部 分的に行われていたことは事実ですが、それだけでは対処できないことも多々 ありました。そのため、より広範で柔軟な対応を自治体レベルで迫られたので 、設置されたのが「雲仙岳災害対策基金」です。雲仙岳災害対策基金は、長崎 県の起債によって設立されたものですが、それとは別に義援金の一部を原資と して設立された基金が島原市と深江町にも設置されており、相互に連関をもち ながら事業が展開されています。
 基金の事業は多岐に渡っていますが、次の四つに大きく分けられます(括弧 内の数字は、91年10月〜94年5月までの実績です)。
(1)住民等の自立復興を支援する事業(38億5,048万円)
(2)農林水産業の災害対策・復興対策事業(13億2,230万円)
(3)商工業・観光業振興事業(9億0,478万円)
(4)その他災害対策(3億2,322万円)
これらの中でも特筆すべきは、この酒井一さんの文章中にも出てきますが、被 災住宅の再建時に建設費の一部を助成する「住宅再建時助成事業」や、再建を あきらめて賃貸住宅に入居したときに助成金がもらえる「住宅確保助成事業」 、家具購入等の生活再建時に助成金がもらえる「住宅被災者生活再建助成事業 」などです。この他にも、県の被災世帯への生活資金給付事業(月額12万円) の拡充のための「生活雑費支給事業」など、阪神・淡路地域では喉から手が出 るような施策が行われています(一部の施策に関しては、事業を終了している ものもあります)。
 基金制度という発想自体は、「(損失)補償ではなく、災害対策、被災者の 救済という観点から住民等の自立復興を支援するもの」という立場を原則とし て堅持していることから、あくまでも今までの災害対策の路線上にある施策で す。しかし、実際にこのような基金制度が実施されたのは雲仙岳噴火災害で初 めてであり、それ以前には行われていない直接的な補填事業が展開され、しか も国庫からの補助が受けられることを考えると、今までの「行政を一歩踏み出 す事業」と高く評価してよいと思います。
 この雲仙岳災害対策基金は、96年6月に市民からの強い要望に応えて、640億 円から1,000億円に県によって積み増しが行われました。それにともない、事 業計画の変更が現在行われている最中です。今後、私たちもどのような事業が 行われていくのか、注目すべきであると思います。


(5)『バイデンに セキタン燃やす スカタンや』

大山田五郎

神戸製鋼所=神鋼が灘区に石炭火力発電所を建設することになったそうな。 140万キロワットのでかいシロモノらしい。神鋼と言えば、V8こそのがしたも のの、鉄のラガーマンたちは健在だ。で、彼らが泥にまみれるのは勝手なんだ が、石炭を燃やして神戸の空を曇らされるのは迷惑千万だ。あそこらへんは、 ただでさえ国道2号線やら国道43号線やらが通っていて、ケムイだのクサイだ のウルサイだので大変だってのに。近ごろ話題の「売電」とやらをもくろんで の建設らしいが、燃やすのはラガーマンたちの魂だけでたくさんだ。あれだっ て本当は私に言わせると暑苦しくってかなわんのだが、それを言い出すとオリ ンピックやら夏の甲子園やらについてもアレコレ言いたくなるので、あえて問 題にしないでおこう。  考えて見れば、彼らの持つ土地ってのはもともとは海、つまり公有水面だ。 そこを埋め立てるには公共の利益がないといかんハズ。それなのに「遊休地の 利用」ってのはどういう訳だい?埋め立て地が必要でなくなったというのなら 、いらん火遊びはしなくていいから、さっさともとの海に戻してくれと言いた い。  どうしても埋め立てたままにしておきたいのなら、いっそのこと「原発」を 建てりゃいい。技術者たちはいまだに耐震性はバツグンだと言い張っているこ とだし、何と言っても原発をよべば神戸市にはガッポリ補助金が落ちるノダ! 「被災地・神戸市」宛てに落ちてくるハシタ金なんぞよりは数段アテになりそ うじゃないか。そういや、神戸市も来年中に神戸空港の着工に入りたいとかゆ ってるぞ。え〜い、ついでに神戸空港も米軍基地の移転先として立候補しちま おう。こいつはすごいことになってきた。電力会社もゼネコンも沖縄の人々も 大喜び間違いナシじゃないか。みんなからは喜ばれ、金も落ち、しかも神戸市 の金儲け体質がどんどん赤裸々になっていく。いやぁメデタシメデタシ。
 …ハイ、暴論でした。すんません。やっぱ、こんな夏の暑いときにものを書 くと、ついつい問題発言ばっかりになる。ここはやっぱりズボラ熱で倒れてい る方が世のため人のため。おやすみなさい。そうそう、仮設住宅の皆さん、被 災地の皆さん、全国の皆サマ、O-157とか、おたがい気をつけましょネ。


公的補償を求める有志の会 ニュース No.2

目次

   (1)「公営住宅供給プログラム」 (中島 絢子)
   (2)「政策ワークショップ参加への誘い」 (事務局)
   (3)「現行の災害対策制度は十分に活用されたか」 (松井一郎)
   

(1) 公営住宅供給プログラム
 兵庫県の「災害復興公営住宅等の供給プログラム」が展開され、一元募集が 実施された。このプログラムに疑問と怒りがわく。
◆滅失家屋一三万六千七百 戸に対して、公営住宅三万八千六百戸の供給プラン。仮設住宅に四万一千世帯 、同居世帯一万、県外避難世帯は五万(七月十六日朝日新聞夕刊)といわれる 現状で、県のいう公営住宅層の数読みは的確だろうか。また、その多くは家屋 滅失の場所とはかけ離れた地域に建設される。被災者がもとの地域に戻れるこ と、必要戸数に対応できる供給をプログラムの原則とすべきではないか。しか し、それは真夏の白昼夢だと行政に突きつけられてしまった。鳴り物入りの六 千円家賃住宅は、四十五u以下で、月収二万円未満という条件でやっと成立す るにすぎず、対象戸数はほとんどない。不動産屋の「掘り出し物件」の如し。 超低家賃につられて、「緑したたる」新天地に囲い込まれるより、高齢者には 通い慣れた医療機関や一菜を分け合う近隣関係のある地元が大切である。それ に、ノーマライゼーションといいながら、障害者がともに暮らせる環境整備は 不十分で、四十、五十歳代世代の被災困窮者への配慮なし…、など言ったらキ リがない。これでは「公営住宅層」の切り捨てとコンクリートのハコへの囲い 込みである。
◆居住権は基本的権利・人権である。被災者の生活再建に、この 基本的な認識を欠いてはならない。行政側で、あのようなプログラムを勝手に 作って進行させるのはもってのほか。とりあえず、住民の意思・意見を組み込 むために、「災害復旧住宅問題公聴会」を開くなどして、プログラムの見直し を図るべきではないか。行政は、被災者の自己決定権の尊重を災害復旧の基本 理念にすべきである。(中島絢子)

(2) 阪神・淡路大震災の被災者個人への公的支援に関する政策ワークショップ参加 の誘い
稲村和美(「有志の会」・神戸大学総合ボランティアセンター)

 「被災地は、まだまだ多くの問題を抱えている」。
この言葉はいま、被災地内外でどのように受けとめられているのでしょうか。  私は今回の震災で初めてボランティア活動というものを経験し、今も被災地 で活動を継続しています。「私たちにできることは何なのか」。私にとってそ れは、仮設のおばあちゃんとやさしいひとときを過ごすことだったり、子ども たちの遊び相手になることだったり、体の不自由な方の介助をすることだった りします。そこにある助け合いの気持ちは、制度化することなどできない大切 なものです。しかし、そういった助け合いだけでは決して解決できない問題が 被災地に積み残されていることを感じます。やはり、生活再建のメドが立たな い方々、家を失い不安な日々を過ごしている方々が、本当に次の生活に向けて 再出発するためには、新しい制度の創出や現行制度の適切な運用が必要です。 「被災地で本当に問題なのは何なのか」「被災地に本当に必要なことは何なの か」「私たちのなすべきことは何なのか」。私は、被災地に関わりながらも、 正直なところ考えあぐねています。  しかし、考えてばかりいるわけにもいきません。このままでは、今回の震災 の経験が活かされないどころか、ものすごいスピードで風化していきます。「 被災地はまだまだ多くの問題を抱えている」という実感を私をはじめとする多 くの人が持っているにもかかわらず、です。
◆いま、必要なこと
 いま被災地でなされなければならないのは、被災地からの発信、つまり、被 災の実体を把握し、伝えることのできる正確な情報・データを集積して、それ に基づく具体的な政策を提案することだと思います。  しかし実際は、市民・行政の別を問わず、バラバラに政策提言が行われてい る状態です。このような状態で、本当に被災地の経験を全国に伝え、必要な政 策を実現することができるのでしょうか。完全な一本化までは無理だとしても 、それぞれの政策案が「どのような情報や認識のもとに、誰の、どのような状 態を、いつまでに、どのような政治的・財政的・法的・事務的手続を経て」支 援しようとしているのかを明確にし、それらを根拠と内容と実現可能性の十分 にある政策案に収斂させていかないかぎり、政府や全国の人々に対してだけで なく、被災地の人たちに対しても、自分自身にとっても十分な説得力をもち得 ないのではないでしょうか。被災地に関わる人々が、広く情報を共有し、被災 地に本当に必要なことが何なのか話し合い、各政策案を検討して、自分でこれ だと思える政策に練り上げていく時期にきていると思います。  前回のニュースで池田さんが書かれていたように、現在のさまざまな政策案 は、それぞれが独自の論理をもった、いくつかの「島」であるように思えます 。「島」と「島」の連絡が不十分な今の状態では、どの「島」も十分な力を発 揮しえないまま終わってしまいかねません。逆に、どれか一つの「島」が何の コンセンサスも得られないまま全体を支配することになっても、結局「市民不 在の制度」という結果をもたらすことになるでしょう。どちらの場合であれ、 そのような結果に対して後で「私たちも政策提言をしたし、運動もしたのに」 と言い訳しても遅いと思うのです。そのような不毛な結果を防ぎ、政府や全国 の人々の理解を得て本当に必要な政策を実現させる鍵は、いま、政策案の収斂 に向けて一歩を踏み出せるのかにかかっています。一つの「島」が持てる力に は限界があります。それらが集まって「列島」にならなければ、十分な結果を 導き出すことはできません。被災地からの発信によって全国的にコンセンサス を形成し、そのコンセンサスに基づいて「被災者の自立のために欠くことので きない施策・制度を実現すること」が目的なのであれば、もうそろそろ、次の ステップに進む必要があるのではないでしょうか。
◆政策ワークショップへの誘い
 私たち「有志の会」が考えている「政策ワークショップ」とは、災害に関す る施策についての疑問や意見を何でも持ち込める場のことです。今までの政策 や議論について学びながら、その学んだことをもとにして「共同作業で政策を 練り上げ実現していく」ことを目指しています。ですから、参加者がさまざま な知識・意見を吸収し、理解する場であることを前提としています。政策の立 案に深くコミットしている方には講師またはアドバイザーになっていただく場 合もあるかと思いますが、ワークショップに集まっていただいた方々には、立 場を越えて、活発に議論できる仲間になっていただくことを期待しています。 また、現在すでにいろいろな立場で具体的な政策案をお持ちの方々には、発表 者として是非積極的に参加して下さいますようお願いいたします。加えて、被 災地の今後に関心を寄せる方に、是非ともご参加いただきますようお願いいた します。「充実あるもの」をお渡しする自信はありませんが、「充実あるもの 」を創っていくことはできると信じています。  もちろん、私たちの「ワーク」は「政策を練り上げる」だけに留まりません 。「必要な政策を実現させる」ことこそが、ワークショップの目的です。ワー クショップの成果を全国に向けて発信し、具体的な運動として展開していく必 要があります。この「ワーク」を達成するためには、「被災地において政策案 を練り上げていく」という作業と、それに続く「全国的な運動展開」という作 業の両方を、市民・学者・マスコミ・行政が共同で行っていくしかありません 。  いま被災地で問われているのは、今まで、そしてこれからの私たち市民のあ り方だと思います。ワークショップすなわち「市民の共同作業」とは、より適 切な制度と施策を私たち市民のイニシアチブで実現するために、市民がつなが り、経験を蓄積するということです。それは、単なる「自然災害に対する有効 な政策の実現」に留まらず、今後の日本社会の成熟につながる成果をもたらす ものと私は信じます。

(3) 現行の災害対策制度は十分に活用されたか。
松井一郎(大阪府事業生協連合会)
 阪神・淡路大震災では、莫大な損害が生じた。それだけに、救援・復旧・復 興に投じられた資金もかなりの額に上っている。どの分野にその資金が投じら れたかが、被災者の復興に関心のあるものにとっては問題となる。  弁護士の伊賀興一氏は、国の被災者への生活再建助成についての議論の中で 、新制度を云々する前に既にある「災害救助法」(以下、救助法)の趣旨・規 定にもとづき、それで可能とされている施策の徹底を図るべきだと主張してい る[(1)]。救助法の条文と制定の経緯から考えると、被害の程度の応じて臨機応 変に救助がなしうるはずが、非常に不徹底でアンバランスな運用がされている との指摘は、新しい災害対策を考える上でも、災害時における行政の責務を考 える上でも非常に重要な指摘だと考えられる。  ただ、現行の災害救助制度というのは、救助法と「災害弔慰金の支給等に関 する法律」(以下、弔慰金法)の両者によって構成されている(図参照)。後 者について、伊賀氏はあまり触れていないが、今のところ災害弔慰金は、被災 者に対して直接に資金を支給・貸し付ける唯一の制度である。そこで以下では 、救助法と弔慰金法の両者が、今回の震災においてどのように適用されたのか を検討していきたい[(2)]。 ◆「災害救助法」について
 まず、救助法について検討してみよう。救助法第二十三条には、「救助の種 類」は以下のように挙げられている。
(1)収容施設(応急仮設住宅を含む)の供与。
(2)炊き出しその他のによる食品の給与及び飲料水の供給。
(3)被服、寝具その他の生活必需品の給与又は貸与。
(4)医療及び助産。
(5)災害にかかったものの救出。
(6)災害にかかった住宅の応急修理。
(7)生業に必要な資金、器具又は資料の給与又は貸与。
(8)学用品の給与。
(9)埋葬。
(10)前各号に規定するものの他、命令で定めるもの。
このうち、(10)については「災害救助法施行令」第九条で、
(10)の一、死体の捜索及び処理。
(10)の二、災害によって住宅又はその周辺に運ばれた土石、竹木等で、日常生活 に著しい支障を及ぼしているものの除去。 と定められている。ここでは、当面の私たちにとって関心の高い項目から、表 (1)を参考にしながら、いくつか取り上げてみようと思う。  まず、「(7)生業に必要な資金、器具又は資料の給与又は貸与」について。こ の規定の前半部分の「生業資金給付」は、被災者の生活再建には不可欠な制度 であるが、この項目は表(1)中に記載がなく、伊賀論文でも指摘されている通り 、実施されなかったようにである。厚生省事務次官通知[(3)]によれば、この生 業資金の支給金額は「生業一件当たり三万円」、就職支度金は「一件当たり一 万五千円」とされている。また、予算措置を行う対象世帯数については、市町 村ごとに「住家が全壊、全焼又は流失した世帯の二十五%まで」と定められて いる[(4)]。阪神大震災の被害状況から推計してみると、兵庫県下で四万六五八 〇世帯、大阪府下で八五二世帯がその範囲だったことになる[D]。こうした対 象世帯数の限定を厚生省事務次官通知が設けているのは、第一に救助法が大規 模災害を想定していること[(6)]、第二に大規模災害の場合には全壊・全焼・流 出世帯の二十五%以上の生業資金の需要を見込んでいることである。今回の震 災でまったく適用されないのは、行政の責任放棄としか言いようがない。  伊賀論文によれば、厚生省は弔慰金法にある「災害援護資金」が存在するこ とを生業資金を運用しない理由にしているようだが、この厚生省の論法はまっ たくおかしい。というのは、生業資金と災害援護金とでは、その性格がまった く違うからである。後で見るように、災害援護金とは「世帯主の負傷」または 「住居又は家財の損害」があった場合に、「生活の建て直しに資するために」 貸し付けられる生活資金である[(7)]。それに対して、生業資金とは「生業を営 むために必要な機械、器具又は資料等を購入するための費用に充てる」[(8)]と いうものである。すなわち、両者はその目的も対象も異なるのであって、一方 で他方の代わりとすることは不可能である。むしろ、両方ともが機能してこそ 、全体として災害対策の役割を果たされると考えなければならない。  次に、「(6)災害にかかった住宅の応急修理」については、表(1)の「その他」 の項目に学用品の給付などと合算になっており、これだけでは「応急修理費」 だけを取り出せない。そのため、実施の実態を正確に把握するのは難しいが、 伊賀論文によれば、神戸市内での適用数は五百件だったとされる。ところが、 事務次官通知では、対象数の範囲は「住家の半壊・半焼世帯の三十%」となっ ている。この規定にもとづいて、先ほどと同様の推計をしてみると、神戸市は 三万四〇三二世帯が対象の範囲だったことになる。したがって、実際に「災害 にかかった応急修理」の適用は、事務次官通知で定められた適用限界の一・五 %にすぎなかったことになる。  また、大阪府では、応急修理の適用が確定した件数は五十八件である(九六 年一月八日現在)[(9)]。大阪府下の「半壊・半焼世帯の三十%」は、五一四〇 世帯であるから、こちらも実際に適用された割合は一・一%にすぎなかったこ とになる。適用限界を設けているのは、生業資金のところで述べたのと同じく 、実際にはこの限界以上の需要があるとの予想からであろう。それにしても、 適用限界の一%台にしか適用されていないという実績では、せっかくの現行制 度がここでも活用されていないと言わざるをえない。  ここで少し「意地悪」な計算をしてみる。この大阪府の五十八件に、応急修 理の限度額「一世帯当たり限度三〇万八千円」[(10)]をかけ合わせると、上限額 は一七八六万四千円となる。また、大阪府で行われた震災時の「学用品の給与 」の計算上の上限は、六一万四三〇〇円になる[J]。これらのことから、表一 中にある「学用品の給与費、応急修理費等」に使われた九七〇〇万円の大半の 七八〇〇万円以上は、「等」という部分に使われたことになる。「等」には一 体どのようなものが含まれているのかが、疑問でならない。  「(3)被服、寝具その他生活必需品の給与又は貸与」について。表一から、一 世帯当たり兵庫県下で約一万三千円、大阪府下で約一万二千円を支給したこと が分かる。事務次官通知には、一世帯当たりに支給できる範囲を、全・半壊別 、夏期・冬季別、世帯人数別に細かく定めている。冬季の三人世帯の場合[K] 、全壊で四万九九〇〇円、半壊で一万六六〇〇円となっており、やはり実績と 限度額との間にはかなり差がある。また、支給世帯数を見ても、全壊世帯を相 当下回っている。適用実績の厳密な評価のためには、もっと詳しいデータを必 要とするものの、現行制度の活用する余地はかなりあったものと見られる。
◆「災害弔慰金の支給等に関する法律」について。
 弔慰金法には、以下の三つの事項が定められている。
(1)災害弔慰金の支給。
(2)災害障害見舞金の支給。
(3)災害援護金の貸付。
 「(1)災害弔慰金の支給」について。この中では、それぞれ一世帯当たり生計 維持者の死亡に対しては五百万円、生計維持者以外の死亡には二五〇万円が支 給されると定められている。今回の震災においては、兵庫県・大阪府などで、 合わせて五七八七件に対して一七五億六一二五万円が支給されている。災害弔 慰金の支給の実績が直接死数「五四〇〇人」を上回っているため、あたかも震 災関連死もカバーしているようにも見える。しかし、そうであるとしても、震 災直接死と震災関連死を合わせた「六三〇〇人」という数字との差については 、さらに調査する必要があろう。  「災害障害見舞金」について。これは、災害により重度の障害を受けた人 に対して支給されるものである。生計維持者に対して二五〇万円、生計維 持者以外に対して一二五万円という金額が定められている。これについては、 兵庫県・大阪府などで五十二件に対して、九一二五万円が支給されている。印 象としては、五十二件という件数がずいぶん少ないように感じられるが、実際 に障害を受けた方が少なかったという可能性もある。この制度がどれだけ機能 したのかについては、実態を把握するための詳しい調査が必要であろう。  「災害援護金」について。これは、「世帯主が療養一ヵ月以上の負傷を負 った場合」と「住居または家財の価額の三分の一以上の損害を被った場合」に 、損害の程度に応じて最高三五〇万円まで生活資金が貸し付けられる制度であ る。生活資金であるから、救助法の生業資金とは違って使用目的が拘束されて いない。災害援護金の償還については、「償還免除規定」と「償還金の支払猶 予規定」とが存在し、返済が困難な場合の救済策を備えている。すなわち 、ある程度の「焦げつき」があることも覚悟した制度である。この制度を利用 するためには所得条件があり、三人世帯の場合だと年間所得が五八〇万円未満 でなければならない。ほかの制度と比べると、一件当たりの金額が相対的 に大きいこと、柔軟性があることが特徴で、何らかの新制度ができるまでの間 に活用しようというときには、大いに役に立つ現行制度だと思われる。  では、今回の震災ではどのように活用されていたのか。兵庫県・大阪府を合 わせたデータしかないが、一三二六億四四四七万円(五万八一二四件)、一件 当たりの平均二二八万円が貸し付けられている。この数値の評価、特に適用件 数の評価については、詳しいデータが必要だが、あえて大胆に推計すると 、少なくとも一七万世帯が対象となりえたと考えられる。この数字を見て も、やはり現行の制度は十分に活用されていないと言えよう。
◆おわりに
 救助法と弔慰金法が今回の震災においてどのように適用されたかについて検 討したが、それらが「ここまでできる」としている限度と実際に適用された実 績との差は非常に大きい、ということが分かった。今ある制度をフルに活用し て被災者の救助にあたる姿勢が、行政当局に欠けていたと評価せざるをえない 。今回の震災の教訓が今後に活かされるためには、行政当局に救助制度は被災 者救助という目的の手段にすぎないということを十分に理解してもらう必要が ある。そうでなければ、いくら新制度ができたとしても、その運用の段になっ て十分に機能するとはかぎらないからである。そのためにも、市民自身が現状 の制度について関心を寄せ、よく知り、阪神・淡路大震災を含めた過去の適用 実態の検証も行っていかなければならない。  現時点において、被災者が救助法・弔慰金法のどの部分を活用しうるか、す なわち要求に掲げれば効果的かについては、判断が意外に難しい。伊賀氏は救 助法第一条の「応急的に、救助を行い」とする「応急」の文言に引きずられ、 救助法が短期の救助のみを対象にしているとしか理解されていないことを批判 している。その批判は正論ではあると思われるが、制度の仕組み自体は応急策 を定めた構造であることは否めない事実である。その一方で、弔慰金法の災害 援護貸付金は一件当たりの金額がある程度の額であることから、活用する余地 が残されている制度であると考えられる。適用が一九九五年十月で打ち切られ てしまっているが、生活基盤の回復への公的援助の必要性が認識され、新制度 の制定と施行までの間、この災害援護貸付金を「つなぎ」として再活用ができ ないものだろうか。所得条件を満たす全全壊世帯に一律三五〇万円を、それ意 外の被害についてはそれに準じた額を、「配って回る」感覚で貸付を実行する 。しかるのち、新制度の発足時点で二重には必要ない分は、若干のプレミアム をつけることによって繰り上げ償還(要するに新制度で給付される分と相殺) を勧誘する。ざっとこういう発想があっていいのではないだろうか。



公的補償を求める有志の会 ニュース No.3

目次

   (1)「メメント=モリ(東京におる者ののんき)」(平戸 潤也)
   (2)「災害対策の基金事業についての一考察」 (松本邦裕)
   (3)「天災は、忘れなくてもくり返す! 〜 巨大地震は、まだまだ起こるらしいぞ!」( 松村直人)
   

(1)「メメント=モリ(東京におる者ののんき)」 
      平戸 潤也(元「都市生活」ボランティア)

 東京の人に「今神戸では公的補償を求める政策提言をしようとしているよ」と言ったら どんな答えが返ってくるか。「公的補償?そんな発送どこから出てきたの。」と言われて 終わりである。まずこの現実から出発しよう。
 阪神大震災はなかった。言葉にならないよいう意味で。ならば東京の人間に震災の話題など 通用するはずもない。「久しぶりに神戸に来たら、皆さん公的補償の勉強をしていた。ほー、 そんなん本気で実現すると思っとるんですかねぇ。これが感想である。
 その点、東京は安心。墨田区では、いまだに関東大震災の経験が語り継がれ、火から逃れて 隅田川に飛び込み死んでいった多くの人々の想いを「震災記念館」でかみしめている。 町内会の結束は固いし、勉強会も訓練も盛大に行われる。この取り上げられ方、神戸の真野 みたいなものだが。
 もちろん手つかずの所は沢山ある。が、神戸と違うのは「ここは地震が起きたら本当に やばいぞ」ってことをみな自覚しているところ。つまり「市民の覚悟」「難民として生きる覚悟」 ができているのだ!東京はなんとも強い。
 地震直後のための備えはほぼ万全。安心した東京の元災害ボランティアは、地震後十年続く 生活者の苦悩など視野に入らず、地元の活動を殆どしていない。「弱者をそっとしておいて あげられるスマートな都会、これが東京の良さだから。
 このままでいいのか?本当に死を思って生きておるんか?全然伝わってこないぞ。
 じゃ、お前が伝えろ、と言われるかも知れない。でも、それは「被災者責任」を果たしてから 言って欲しい。被災体験が経験に昇華されるのを待つ間、こちらでは住まいの問題に正面から 取り組むべく、”フラドーム”っを建てる訓練をしておる次第。これで日本の住宅問題常識が 覆される(可能性はゼロとは言えない)。百万円あれば、、素人二人で一日で建てられる。 台風・地震に強いこの建物。街中に建てると建築基準法違反で怒られるので、悪しからず。

(2)「災害対策の基金事業についての一考察」
      松本邦裕(神戸大学学生震災救援隊)

 周知のことであるが、現在、新たな災害対策・被災者救済策として多くの組 織がいろいろな提案を行っている。そのいくつかは、基金制度の創設による被 災者救済を主張している[@]。災害対策として基金制度が利用されたのは、一 九九一年に設立された「雲仙岳災害対策基金」(以下、災害対策基金)が最初 と言われている。その後北海道南西部沖地震(奥尻)と、今回の阪神・淡路大 震災で設立されている。
 特に、昨年設立された「阪神・淡路大震災復興基金」(以下、震災復興基金 )は、(1)民法三十四条の公益法人設立による基金であること、(2)原資の「果 実」、すなわち運用益によって事業資金の調達を行っていること、(3)借入原 資の利払いは、地方交付税措置によって大半を国庫より補填されることなどの 特徴を有していることから、初めて設立された災害対策基金の直系の制度であ ると考えられる[A]。ここでは、基本的な形態が同じであるこの両基金の事業 内容・事業実績に関する若干の比較を行い[B]、その違いを明らかにしたい[ C]。そうすることで、災害対策基金が災害対策として高く評価されているこ とから、基金制度が十分に機能するための条件が見えてくると思われる。
◆災害対策における「基金」制度の利点
 一般に災害対策における「基金」制度には、次のような利点があると言われ ている。
(1)長期的、安定的な財源が確保できること。
(2)行政の政策を補完する自由な事業を行うことができること。
 すなわち、市場金利の高低に左右されることはあるが、基本的にはそのとき の財政的・経済的・政治的な状況に左右されることなく、基金事業の財政的な 見通しをたてることができる。加えて、民法上の基金として設立されているこ とから、基本的には行政にも左右されることなく、事業内容を決定することも できる。これらのことから、実施できる事業内容としては、既存の行政施策の 効果を上げるための補完的事業だけでなく、現行の行政施策として実行が難し いと思われる事業をも行うことができる。ゆえに、基金制度は、財政的にも事 業的にも、長期的に安定し必要に応じた事業計画・事業実施を行うことができ る制度であると言える。
 実際に、災害対策基金ではこれらの利点を十分に活かした事業展開が行われ た。そこでは「損失補償ではなく、災害対策、被災者の救済という観点から住 民等の自立復興を支援するもの」という立場が明言されていることから、行政 の災害対策と対応した補完的政策を基本として、実に多様なメニューが用意さ れた。しかも、住宅・生活にかかわる分野での各世帯への金銭給付事業などが 盛り込まれ、現状では行政の施策としては行いえないような事業が含まれてい る。長崎県が、基金事業で「形を変えた補填事業を実施する。行政を一歩踏み 出す事業を行う。」と明言しえたのは、基金制度の利点のためであり、それゆ え災害対策としての有効性を高く評価され、実質的な「公的補償」を行ったの と見なされている[D]。

◆災害対策基金と震災復興基金の比較
 災害対策基金では四分野六十八項目、震災復興基金では五分野六十六項目の 事業が用意されている。これらの事業は、非常に似かよった目的の事業が多く あり、大まかに「生活支援」「住宅」「生業支援」「産業振興」「教育・文化 」「その他」に分類することができる[E]。しかしながら、それらの事業内容 ・事業実績にはかなりの違いが観察できる。
 まず第一に、事業実績の大項目間の比率に大きな違いがある。【図1】から すぐ見てとれるように、災害対策基金の方が項目間のバランスがとれ、生活支 援関連・住宅関連の事業の割合が大きい。それに対して、震災復興基金の方は 生業関係事業の予算消化ばかりが目立って、住宅分野の割合が非常に小さい。  この両者の違いの原因は、事業の実施形態での違いによるものであろうと考 えられる。事業実施形態は、利子補給事業と給付(助成)事業とに大きく分け ることができる。住宅関連事業のこの比率は、災害対策基金で給付事業が圧倒 的であるのに対して、震災復興基金では利子補給事業が優占している(【表2 】)。言うまでもないことであるが、利子補給事業を受けるためには融資を受 けれなければならない。産業関係の利子補給事業たる「生業支援関連事業」に 比して「住宅関連事業」が進捗しないのは、融資の容易さに関わってきている のであろう。特に阪神・淡路大震災では、住宅関連のさまざまな融資制度が被 災者にとって非常に受けにくいことが一般に言われているが、そのような状態 では住宅関連分野の基金事業が機能するとは考えられない。
 加えて、住宅困窮者はそもそも融資などを受けることができない階層である 場合が少なくないと考えられ、利子補給事業のみの住宅関連事業自体の有効性 が疑われる。その点、給付事業が二重三重に行われた災害対策基金の住宅分野 での働きには、先進性が多く見てとれる[F]。
 第三に、生活関連分野での違いも見のがせないものがある。この分野の個々 の事業を列記したのが【表3】であるが、これを見ると両者の違いが明らかに 分かる。事業名だけでは内容が分かりにくいものもあると思うが、災害対策基 金の方では各世帯(個人)に向けた給付事業が多いのに対して、震災復興基金 には世帯向けの給付事業が皆無であることが分かる。
 災害対策基金では、長崎県が実施した食事供与事業(四人家族で月額十二万 円の支給)の補助のために、各世帯に生活資金の上乗せ支給した「生活雑費支 給事業」「生活支援事業」「新生活支援事業」や、「災害弔慰金の支給等に関 する法律」にある各世帯向けの「災害援護金貸付事業」[G]の利子相当額を無 利子化する「災害援護金利子補給事業」など、直接補填事業が用意されていた 。これらの事業も、住宅関連事業での給付事業の存在と合わせて、実質的な「 公的補償」を行ったもったものとして、その先進性を評価される源泉となって いるのは事実であろう。
 その一方で震災復興基金には、ボランティア団体や被災者支援団体、仮設住 宅のふれあいセンター、地域・公営住宅のコミュニティセンターなどへの給付 ・助成事業しか存在しない。確かに、阪神・淡路大震災では「ボランティア」 への評価が高まり、民間組織(NPO・NGOなど)の役割を見直す契機とな った。そして、その多くが財政的な問題を抱えているのも事実であり、そうい った民間組織の助成策を取り入れていること自体は評価できる側面もある。し かしながら、被災者の自立ということを問題にするかぎり、各世帯への現金給 付事業の存在は不可欠なものなのではないだろうか。特に、災害初期の段階に おいては、金額の多寡の問題はあるだろうが、現金給付事業の果たす役割の大 きさは否定できない。被災世帯への現金給付事業がなく、民間組織への助成事 業のみの施策の有効性は疑問視せざるをえない。
 同じことは、雇用関連事業についても言える。震災復興基金が、企業の雇用 対策に関する助成事業しか用意していないのに対し、災害対策基金では支度金 や職業訓練奨励金など労働者に対する給付事業も少なからず用意されている( 【表4】)。要するに、復興基金では間接的に(側面から)被災者の生活支援 を行うことが徹底されていると言える。
 最後に、震災復興基金では行政の外郭団体への助成が行われているのも災害 対策基金との大きな違いである。どのような外郭団体に助成が行われているか は【表5】にまとめてみた。全国に名をはした神戸市の都市経営の特徴の一つ に「外郭団体の豊富さ」があり、外郭団体に一部の機能を委せることにより基 金事業全体としての実効性があがるという可能性も考えられなくはないが、「 ひょうご輸入住宅総合センター設置運営事業補助」といった事業などは、なぜ 基金事業に盛り込まれたのかいぶかしく思うのは、筆者だけだろうか。  このことと明確な関係があるとは断言できないが、基金の役員の顔ぶれを見 てみると(【表1】)対策基金では民間から役員を招へいしているのに対して 、復興基金の役員はすべて行政の人間で占められていることに起因しているの ではと思うのは、考えすぎだろうか[H]。

◆結語として
 震災復興基金が、災害対策基金を制度的に直接に引き継ぐ基金制度であるこ とは言うまでもない。繰り返しなるが、災害対策基金が高く評価されているの は、「損失補償ではなく、被災者の自立復興を支援するもの」としながらも、 実質的な「公的補償」を行った先進性ゆえであった[I]。では、震災復興基金 はどう評価できるのだろうか。今までこの両基金の比較を行ってきたわけだが 、次のように結論づけられそうである。すなわち、震災復興基金は、災害対策 基金をその出自としてもっているが、災害対策基金が有している、「形を変え た補填事業」「今までの行政を一歩踏み出す事業」といわれた先進的な部分が 皆無となり、「行政の災害対策の補完」「被災者の自力復興の支援」という名 目を究極的にまで追求した基金制度である、と言える。このように結論づけて しまうのは、言い過ぎであろうか。
 確かに、震災復興基金の置かれている状況は災害対策基金より厳しい状況に ある。まず、被災者数・被災家屋数が雲仙と比べて二桁以上違うのに、基金の 原資額は一桁しか変わらない。被災者の階層間格差も阪神の方が大きいだけに 、より汎用的な施策とバリエーションの多いメニューを用意しなければならな い。大都市と地方都市の違いは物価・地価の違いに反映され、基金事業の実施 に少なからず影響を及ぼしている。このように、震災復興基金を評価するのに 割り引かねばならない事情があるのは事実である。しかしながら、だからとい って利子補給事業と間接的な助成事業しかできないという理由にはならないで あろう。対象がより限定される結果となることがあるにしても、災害対策基金 の先進性を引き継いだ事業展開の可能性は少なくなかったと考えられる。直接 補填事業もメニューに取り入れられたであろうし、利子補給事業にしてももっ と有効な方法もあったはずである[J]。
 基金制度がもつ災害対策の有効性を考えれば、日弁連の主張するように、災 害が発生するごとに基金自体が設立される制度枠組みを確立することも重要で あるが、設立された基金が設立ごとにその長所を活かした有効な運用が行われ る条件にも注意を払う必要があるであろう。その必要性は、この両基金の事業 比較からも明らかに分かる。ここでの分析をもとにして、その条件をいくつか 指摘してみたい。
 まず第一に、産業関連事業と住宅・生活関連事業の間のバランスを考えなけ ればならない。事業計画の上でのバランスも重要であるが、事業実績の上での バランスも必要である。災害の規模・内容によって異なりはするだろうが、住 宅・生活関連事業の必要性は普遍のものであろうし、少々のことでは手厚くな りすぎるということにはならないであろう。  そのためには、給付(助成)事業と利子補給事業の間のバランスや役割分担 を考慮に入れなければならない。産業関連資金の方が住宅資金や生活資金の融 資を受けるのに容易であることから、主に利子補給事を中心とする基金運用で は産業関連分野の支出過多にならざるをえない。利子補給事業よりも給付事業 の方が必ずしも優れているということではないが、少しでも多くの現金を短期 間のうちに手にできるという利点を有する給付事業が行われないのでは、災害 対策としての基金事業の実効性が十分にあがるとは考えられない。加えて、同 じ給付事業でも、それが被災世帯(個人)への給付事業と支援組織への間接的 な給付事業とでは大きくその性格が異なる。前者が適宜盛り込まれていない基 金の実効性には、疑問視せざるをえない。産業・生活・住宅間のバランスと、 直接給付・間接給付・利子補給の間のバランスを有機的に考える必要があるだ ろう。
 最後に、基金事業に関する市民参加と情報公開の制度について考慮すべきで ある。基金が民間基金として設立されているのは、行政に左右されることなく 、市民のニーズに応え、臨機応変な対応ができることを期待してのことであっ た。この期待を補償するためには、民間からの理事招へいや、事業計画・実施 についての市民からの意見聴取や市民へのインフォメーションの徹底、情報公 開に関する制度を用意する必要があるだろう[K]。
 今年の十月に震災復興基金の事業運営見直しが行われる予定になっている。 具体的な内容は公表されていないので発表をまたねばならないが、風説によれ ば、事業計画が進まない住宅関連分野の事業見直しが中心となるということで ある。災害対策の基金事業として実効性のあがる方向に改訂されることを期待 して、注目したいと思う。

【付記】  この文章の仕上げを行っているときに、土井たか子氏が震災復興基金に国か ら四〇〇〇億円を拠出して一兆円にすることが提案された(十月二日・神戸新 聞)。新聞報道だけでは、「復興基金に上積みし、共済制度を実現させたい」 ということがどういう意味なのか分からないし、この四〇〇〇億円が最終的に 取り崩せる資金なのか、単なる長期貸付金なのかも分からないなど、情報が不 十分なところもある。しかしながら、今までの議論から、基金の原資の額の問 題でなく、どのような運用が行われているかが重要であるということが指摘で きる。基金事業と運用方法の抜本的な見直しをともなわない基金の増額は意味 のないことを申し述べておきたい。
【註】
@全労済協会、社民党などが、基金制度の創設による「公的補償」を主張して いる。
A奥尻町に設置された基金は、義援金を積み立てることによって作られ、その 原資を取り崩すことで資金調達する基金である。確かに「基金」ということで は災害対策基金を引き継いでいるが、その内容はかなり異なるものであると言 える。
B後述しているが、基金事業は行政施策の補完・拡充という側面も有している 。そのため、行政施策と基金事業の両方を比較の対象としなければならないの だが、阪神・淡路大震災の行政施策について網羅した資料が入手できなかった ので、それができなかった。不十分ではあるが、ここでは基金事業のみの比較 を行った。
C長崎県でも「復興基金」という名称にする案があったのだそうだが、まだ災 害で苦しんでいる市民がいる中で「復興」という名称を使うことに違和感を感 じて、「災害対策基金」に決定されたようである。要するに,ネーミングの発 想自体からして異なるのである。
D日弁連では、基金事業の有効性から一九九四年の『災害対策基本法等の改正 に関する意見書』の中の「わが国の災害対策についての立法提言」で「災害対 策基金創設措置法(仮)」を提唱し、望ましい災害対策の枠組みとして基金制 度と共済制度の併用案を提案している。併用案では、基金事業では住宅再建な どに十分な金額を支給できない弱点を共済制度で補い、細かな被災者救済策を 講じることができるという基金制度の長所を活かすことができる。
Eこの分類は、それぞれの基金の事業分類ではなく、内容を考えて筆者で分類 し直したものである。ここで注意が必要なのは、「生業支援」と「産業支援」 の分類であるが、前者には主に政府系中小企業金融機関災害融資や社会福祉・ 医療事業団災害融資、環境衛生金融公庫災害資金といった産業関連の融資事業 の利子補給事業を分類し、後者にはそれ以外の新規事業助成を分類した。
Fこの住宅関連事業の給付事業には、全壊世帯に三〇〇万円を給付する「住宅 再建時助成事業」や、将来にわたって住宅を再建しない世帯に二〇〇万円を給 付する「住宅確保助成事業」、家財購入費として一〇五万円を支給する「住宅 被災者生活再建助成事業」などがある。
G詳しくは、『公的補所』二号の「現行の災害対策制度は十分に活用されたか (松井一郎)」を参照されたい。
H九月二十一日のワークショップで、福崎博孝さんは民間からの理事招へいが 基金事業に影響を与えたことは皆無で、下からの意見徴収に果たした役割はな いに等しいとおっしゃっておられた。
I実質的な「公的補償」とは、次の二つの事項が挙げられる。一つは、個人へ の直接給付事業が多く盛り込まれていることである。もう一つは、運用資金の 大半(原資の貸付金の利子分)が地方交付税交付措置され、事実上、国費負担 になっている点である。
J例えば、住宅分野での利子補給は融資条件の緩和施策と併用することでもっ と実効性のあるものにできたであろうし、災害対策基金で行われている災害援 護金の利子補給のような生活分野での事業も行えたはずである。過去形で文章 は書いているが、これは現在の問題であり、本年十月に予定されている震災復 興基金の運用見直しに注目したい。
K九月二十一日のワークショップで、福崎博孝さんも、有効な基金事業を行政 マンの良心にのみ任せるわけ住宅にはいかないので、理事会の下に被災住民の 代表が入った審議会のようなものをつくるなどの制度が必要ではないかと指摘 されていた。
【参考文献】
・雲仙岳災害対策基金『たくましく 復興への歩み 基金事業助成実績2』一 九九四年。
・九州弁護士会連合会『雲仙普賢岳噴火災害に関する意見書』一九九二年。
・日本弁護士連合会『災害対策基本法等の改正に関する意見書』一九九四年。
・日本弁護士連合会『地震被害住宅等復興共済制度創設の提言』一九九六年。
・福崎博孝『地震被害等復興共済制度創設に関する日弁連提言について』一九 九六年。
・福崎博孝『自然災害における個人補償(個人保障)の憲法的位置付け』一九 九六年。
・『財団法人阪神・淡路大震災復興基金の概要について』一九九五年。
・『(財)阪神・淡路大震災復興基金の全体事業計画等について』一九九六年
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(3)「天災は、忘れなくてもくり返す! 〜 巨大地震は、まだまだ起こるらしいぞ!」
松村直人(神戸大学・学生文士)

 すでにご存じの方も多いでしょうが、阪神大震災の発生は科学的にハッキリ 予告されていたものでした。神戸市を筆頭とする行政側は、マスコミもグルに して科学者たちの警告をムシして地震対策をほったらかし、震災の被害を必要 以上に大きくしてしまったということでした[@]。じゃ、ここでその科学者 たちの警告、いわば封印された「預言の書」たちをあらためて読み直してみま しょう。まずは22年前、神戸市が発行した報告書から[A]。 「活断層の数多くある神戸市周辺においても今後大地震が発生する可能性が充 分ある。…その時には断層付近でキ裂・変位がおこり、壊滅的な被害を受ける ことは間違いない」
 ノストラダムスもびっくりのこの「預言の書」は、「神戸新聞」が一度だけ 内容を「スクープ」したっきり、神戸市もマスコミもみんな沈黙。どういうわ けか、そのまま闇に葬られてしまいました。じゃあ次に、兵庫県が17年前に出 した報告書を読んでみましょうか[B]。
「神戸市周辺では、震度5以上…統計的には不幸な出来事が明日発生しても異 常ではないことになる。…有史以来の地震の中でこれらのいずれかの活断層と 関連したとみられる地震がまだ見つかっていないことは、…大変不気味である 。…断層活動史の直接的な調査が開始されるべきである」
 こちらの「預言の書」もまた、神戸市にはバッチリ無視されました。  さてさて、ちょっと引用しましたけど、僕が気になるのは、これら「預言の 書」には、今回の「活断層による都市直下型地震」以外の巨大地震の可能性に ついても書かれてること。例えば、よく知られている駿河湾を震源とする東海 地震。過去の「東海沖」巨大地震の5例のうち4例において、ほぼ直後に「南海 沖」(紀伊半島沖)での巨大地震を誘発している。東海地震についてはあれだ け話題になるのに、南海地震は別にいいのかな。神戸でも震度4〜5になるみた いです。あとは、西日本を大きく横切っている「中央構造線」。これまた奈良 あたりから伊予灘にかけては巨大地震の記録がないのでアブナイ。もし起これ ば「マグニチュード8クラス」「しかもその発生時期は間近い」とか書いてあ る。
 ついでに次の文章も読みましょうか。これは石橋克彦『大地動乱の時代』か らの引用です[C]。
「今世紀末から来世紀初めごろに小田原地震、東海地震、首都圏直下地震が続 発し、それ以後首都圏直下が大地震活動期に入る公算が強い。…日本と世界に 重大な影響をおよぼすだろう。…思いきった地方分権による分散型国土の創成 に今すぐ着手すべきである」
 この石橋先生ってのは偉い先生で、この一節の直後にはこんなことも書いて います。「(本書では)網羅的な地震の入門書や地震防災の解説書を書くつも りではない。むしろ、現実の社会的活動のなかで地震などには構っていられな いという方や、自然科学書を敬遠しがちな方にこそ、日本の将来を考える際の 参考として、本書を読んでいただけたらと願っている」。どうやらここでいう 「現実の社会的活動のなかで地震などには構っていられないという方」の中に は、政治家とか役人とかも含まれるみたい。政治家とか役人って、ふだん何に 「構って」いるんでしょうか。誰がちゃんと地震に構ってくれているのかな。 不安ですね。
【註】
@『神戸黒書−阪神大震災と神戸市政』(労働旬報社)でもご参照のこと。
A神戸市の依頼を受け、京大&大阪市大が作成した報告書『神戸と地震』( 1974年)からの抜粋です。この神戸市が発行したはずの報告書、20年ぶりに発 見された(?!)とのことで、市民運動グループが勝手に(?!)復刻しちゃいました 。[B]の報告書も一緒に入ってます。「市民がつくる神戸市白書委員会」 (078-851-2760)。
B兵庫県発行『兵庫県下震災対策調査報告書』(1979年度)。
C岩波新書(1994年)。震災問題関係者、必読書ね。

ワークショップ第一回 論点の整理

「第1回震災被災者個人への公的支援についての政策ワークショップ」は96 年9月7日(土)午後1時半から尼崎市の市立労働福祉会館で行われた。講師に は弁護士の伊賀興一氏をお招きした。伊賀氏は、小田実さんらの「『阪神・淡 路大震災被災地からの緊急・要求声明』の会」(以下「声明の会」と略記)が 提案している市民立法案「生活再建援助法案」(全壊世帯に500万円を支給す る等の内容)を作成された方であり、他方、雑誌「前衛」等で災害救助法の厳 格な適用を訴え、それを怠っている行政の責任を鋭く追求しておられる。以下 に当日議論になった諸点を提示し、論点を整理することによって、2回目以降 のワークショップにつなげていくための足がかりとしたい。

@災害救助法の厳格適用と市民立法の関係
 伊賀氏の主張によれば、災害救助法はその制定の経緯を見ても関東大震災ク ラスの大規模災害を想定しており、災害の規模に応じて対策を弾力的に運用で きる柔軟な構造をもった法律であるから、阪神・淡路大震災にも現行の災害救 助法で十分に対応可能である(「前衛」96年4月号参照)。この議論と、市民 立法という新制度提案とがどのような形で整合するのかという点は興味のある 問題であった。
 それについては伊賀氏から、あくまで市民立法というものは、災害救助法の 厳格適用を容易にするための一つの方策であるという見解が出された。救助法 の厳格適用ということのみを主張するだけでなく、その厳格適用のために補助 的な政策を提案し、この提案をもって厳格適用に関する合意形成の一助とする 、ということが市民立法というもののもつ意味であるとの説明であった。  この説明によって、市民立法と救助法の厳格適用との間の関係は整理された わけだが、あまりに図式がきれいすぎる嫌いがあるように思われる。それが、 市民立法論者の一般的な理解であるのか、伊賀氏個人の見解なのかは議論の余 地があろうが、市民立法を単に救助法の厳格適用の一方策としてだけ理解すべ きかどうかは疑問である。市民立法という形態自体に、もっと積極的な意味づ けがあるのではないだろうか。
 加えて、酒井一さんの意見であるが、市民立法であれ、救助法の厳格適用で あれ、やはりいずれも現行制度を越えるもの、すなわち新制度として理解すべ きではないかという疑問があげられる。つまり、救助法の想定は所詮「応急的 」(救助法1条)なものを越えないのであって、もちろんそのことによって救 助法の明文規定すら実行していない行政が免責されるわけではないにせよ、伊 賀氏が求めておられる内容を救助法に読み込み、行政に実行させるには、伊賀 氏のお話の中に出てきた厚生官僚が逃げ口上として語ったように、「ある種の 国民的合意が必要」なのではないか、別の言い方をすれば、「行政責任を問う ことと、被災者への公的支援を求めることは、少なくとも入り口においては別 なことである」(「公的補償」第1号6頁)のではないか、ということである。 一見些細なことに見えるこの問題は、後にふれるように運動論と密接に関係し ている。

A財源の問題
 「声明の会」の小田実さんは96年5月5日の神戸新聞で次のように語っておら れる。「生活基盤の回復への援助は、国家がまず取り組むべきもの。(中略) 。金額が膨大なのは被災者の責任ではない。財源はタックスペイヤー(納税者 )たるわれわれが考えるものではない」と。この見解の真意がどこにあるのか が問題となっていた。この問題についてはおおよそ以下のような見解が伊賀氏 から示された。
「災害時における被災者の救済は国家の存立基盤の一つであり、どのような 救済策を行うかは国の文化水準を示すものである。であるから、まず救済手段 に関する議論が先にあって、その次に財政的にいかにそれに対応するのかが追 求されるべきである。救済策はその時の財政状況で可能な最大限度で行われる べきものであって、その最大限度を実施するためには国会と政府の合意があれ ば十分なことであり、かつ国会と政府の責務でもある。」
 さらに、災害救助法には、予備費と補正予算で事業を行うということが決め られているが、そのことも財源の問題は市民の側の問題ではないとする考え方 を補助していると思われる。
 また、今回の市民立法の財源に関しては、復興計画に10兆円の予算が決まっ ているのだから、全壊世帯への500万円の支給等で総額2兆円程度である給付額 は十分に今の財政状況でも捻出できるはずである、すなわち、これは復興計画 の予算の組み替えの問題なのであり、国家財政が破綻することもなければ、別 の予算を削る必要もない、だからこの意味でも「財源の問題は、納税者の考慮 することではない」といえる、とのことであった。

B住宅共済制度や基金制度との関係について〜運動論の視角から〜
 兵庫県や日本弁護士連合会は、住宅や家財についての強制保険による全国的 な共済制度を新たに創設し、それでもって今後の地震等の大規模災害に備えよ うという提案を行っている。また、全労済協会は自然災害対策基金制度の創設 を提唱している。その他の案も含め、それぞれの制度案自体の長所短所を明ら かにし、対立点がどこなのかを際立たせることが政策ワークショップの大きな 課題の一つである。「市民立法」の側が、共済・基金制度をどのようなものと してとらえているのかが問題であった。
 伊賀氏の主張としては、安易な共済・基金制度の創設は、公的責任を不問に 付す可能性が強く、非常に問題である、ということが基本的な考え方であった と思われる。行政による災害救助法の運用に関する国民的合意も得られていな い状況であるのだから、このままの状態で共済・基金制度の議論が先行すると 、公的責務の問題や被災者の権利の問題が影を潜めてしまうことを恐れての主 張であった。しかしながら、公的責任の議論を訴えながら(先行させながら) 、共済制度や基金制度の創設を目指すことは賛成であり、市民立法と諸制度案 とは政策的にも、運動的にも対立事項としてとらえるのは得策ではないとのこ とであった。
 確かにこれは正論であると考えられるが、では運動的に如何にすれば対立事 項にならないのか、また、協力関係に至れるのかについては課題として残され ている。現状では、共済・基金制度の要求と市民立法制定の要求とは、それぞ れ独自の路線を進んでいる。この両者の接近とは如何なるものかについてはま ったく不透明である。
 「公的責務」を国に全うさせることを運動の機軸におく(「公助」優先)に せよ、住民の相互扶助の精神にもとづいて共済制度の制定をねらう(「共助」 優先)にせよ、先ほどの厚生官僚がうっかり本音を漏らしたように、たとえば 全壊世帯に500万円を給付することは現行の国家の公共性の枠内ではできると もできないとも言えない(「やるなら国民的合意がいる」)という政府の態度 をどう見るかが問題となる。
公助優先の立場とは、現行の国家の正統性を前提にしつつ、国家の公共性の 理念と現実とが乖離しているのであるから国家自身が自らの理念を貫徹せよ、 ということになる。平たくいえば、国は困った人を助けるのが建て前なのだか ら、本音はともかく、建て前通りにやれ、そのぐらいの甲斐性はあるはずだ、 ということだ。しかしながら、この運動を進めるにあたって市民立法を不可欠 の補助的手段として導入するということは、国家の公共性とは相対的に独立し たもう一つの公共性の領域があることを認めていることにならないか。そうだ とすれば、このもう一つの公共性を組織するための論理は国家行政に対する糾 弾闘争とは異なったものであるはずだ。国家は市民社会のすべてを律している わけではないからである(100万を越す震災ボランティアを国家責任の追及と いう軸で結集することが可能か?)。そして「国民的合意がいる」という官僚 の言葉をしぶしぶながら認めるならば(もし単なる責任のがれの発言に過ぎな いのなら市民立法という補助手段は必要ないだろう)、「公」の責任追及と「 共」への訴えかけは、単純な順序の問題には還元できなくなるのではなかろう か。
 また、市民立法案では、自治体の責任と役割とがあまり明確にはなっていな い。自治体は国家権力の末端であるという側面もあれば、市民社会の「共的」 部分を背景に不十分ながらも国に対する「防波堤」ともなりうる(かつてのい わゆる革新自治体、現在の沖縄県や参加型民主主義を標榜する地方議員勢力) 。地方自治体をどう見るか、というよりどう変えるかについて、責任論のみな らず、これまた「共」や「参加」との関係からも検討せねばなるまい。  他方、伊賀氏の指摘通り、現在の国民会議ー県民会議のラインでは、行政の 責任が不問に付される可能性が強い。日弁連提案では共済制度を実現させるこ とで間接的に国に責任を全うさせるという戦略のようだが、仮に新制度ができ たとしても、伊賀氏が今回の震災に即して明らかにしたように、必ずしも100 パーセントの運用がなされるという保証はない。いまここで国家の責任を問う ておくことは将来の制度のためにも必要であろう。有志の会としてもこの件に 関してどのような見解を示すかは残された重要な課題である。  政策的な棲み分けということも問題となるが、基金と市民立法の間の棲み分 けは事業の種類にかなりの違いがあるので、問題なく棲み分けができる。共済 と市民立法の関係でも、基金が市民立法の「上乗せ」であると考えれば、さほ どの問題はないものと思われる。しかし、共存した場合、支給額や財源が問題 になる可能性があるだろう。

Cその他
◆事前には、法案の細かい内容に関する打ち合わせが行われていたが、当日の 議論の中心から外れることになる嫌いがあったためであろうか、議論はなされ なかった。法案自体はたたき台として提案したということなので、疑問点・修 正点については、何らかの形でまとめて提案すべきであると思われる。
◆上でもふれたが、地方自治体の役割について十全の議論ができなかった。「 国民会議」においては自治体が一つの運動体として表れているし、雲仙での長 崎県(災害対策室)の対応も運動体といって差し支えない動きを見せたと解す べきだろう。9月28、29日には北村・芦屋市長が「声明の会」の集会に参加さ れるということだが、市長の市民立法における位置とは、どのようなものなの であろうか。興味ある問題である。


ワークショップ第二回 論点の整理

第2回政策ワークショップ 論点の整理
 「第2回震災被災者個人への公的支援についての政策ワークショップ」は 1996年9月21日(日)、尼崎市の市立労働福祉会館において約40名の参加をも って開催された。講師には長崎から九州弁護士連合会の福崎博孝氏をお招きし た。福崎氏は本年3月に出された日本弁護士連合会による「地震被害住宅等復 興共済制度創設の提言」を中心となってまとめた方である。  市民立法を提案しておられる伊賀興一氏をお招きした第1回政策ワークショ ップの内容を踏まえ、有志の会では福崎氏に事前質問書を提出していたが、当 日の福崎氏の論は主にこの質問書に答える形で展開された。以下は当日議論さ れた内容を有志の会の立場から整理を試みたものである。もちろん以下の全文 章の責任はすべて「公的補償を求める有志の会」事務局にある。

@「公か共か」「上からの運動論と下からの運動論」
 第1回ワークショップでは、被災者の救済は国家の責務(「公助」)として 行われるべきか、国民・住民の相互扶助の精神(「共助」)に基づいて行われ るべきか、というテーマが提出された。この論点の対立は、現行法制度(特に 災害救助法)の厳正かつ適切な運用を国に実施させることを第一の目的に置く 立場と、全国的な共済制度等を新たに創設して、しかる後阪神・淡路大震災に 対応するという回り道戦略をとる立場との「すれ違い」に根ざしている。  また、前者の立場は市民立法派、後者の立場は国民会議として現実の運動実 体をもっているのであるが、前者は「下から」の運動を積み上げるスタイルと して、後者は運動の全国的な枠組みを先に決めるという意味で「上から」の運 動手法として、形式的には分類できるであろう。 以上2つの論点に対し、福崎氏からおおよそ次のような意見が出された。
 市民の立場からすれば「相互扶助」、市民の代表としての行政の立場からす れば「公的責任」となり、この両者に言うほどの差があるとは考えられない。 「国民的合意」というものが取り付けられるのなら、同じことではないのか。  同様のことが、上からか下からかの議論にもあてはまる。目標に到達するた めの過程に関する議論の重要性は認めるところであるが、「公」と「共」との 間にさほどの差がないのなら、一番現実的で目的を達成しやすい方法を考えれ ばよい。問題は、「公か共か」「上か下か」ではないと思われる。  ただ、注意を要するのは、行政(自治体)と市民の間の関係であるが、必要 もないときにベッタリにならない方がよいと思われる。一つには、国との交渉 に際しては、雲仙の経験に照らして「自治体・市民複合体」は理由なく(イデ オロギー的反発によって)拒絶されるからである。もう一つの理由は、運動自 体のエネルギーの維持のためには、行政と「緊張関係を保ったせめぎあい」を する必要性があるからである。ただし、この「せめぎあい」に際しては、着地 点をもつことが重要である。

A自治体をどう見るか
 市民立法をめざす立場の議論は国家の責任に集中していて、現時点では地方 自治体の果たすべき役割についてまとまった論は公表されていない。有志の会 では、少なくとも兵庫県は「ひかえめな運動体」とみなすべきではないかと、 つとに指摘してきたところであるが、この点に関する質問については福崎氏か ら以下のような示唆がなされた。
 この点については、つっこんで考える必要性がなかったというのが事実であ る。長崎の場合、人の痛みのわかる職員と出会ったということが、自治体をど う見るかということにつながった。自治体の機能というよりは、結局は「人と 人のつながり」ということが大きかったと思う。  地元自治体は現場に近いだけに、被災の悲惨さをよく知っている。その点か らいくと、自治体が住民の側に立つことは十分に可能性としてあると思う。こ こで大きくものをいうのは、行政システム自体の批判ではなく、住民と自治体 の信頼関係だと思う。

B「補償」と「助成」
 補償か保障か、支援か援助か助成か、公的援助か個人補償か、等々、国の責 任論や法律論と絡んでさまざまな議論があちこちで展開されている。この点に ついて福崎氏の意見をまとめてみた。
やれる方でやればいいと考えている。自然災害において「補償」という言葉 があてはまるのかどうかはかなり問題であるし、「補償」と「助成」というこ とは法的には全然違うことである。要は政策的に将来の生活再建に資するもの ができればいいということである。たとえば、住宅再建助成は現行の法制度上 で可能であるはずだと思うが、経験的にみて霞ヶ関がそうするはずがないのだ から、霞ヶ関のシステムの外部に住宅再建助成に関するサブシステムを置いて やれば、霞ヶ関との問題は一応解決する。後は、憲法論的に一部の国民・住民 に助成することの問題さえクリアーすればよいのである。  長崎は、目的を達成するために次々と道を変えながら進んできたのが実情で あり、目標の実現のためにその手段をどのように使うのかが大切であると思う。  加えて、社会保障制度として新制度を組み立てるとすると、「お金持ち」と いう基準をどのように置くのかということが非常に難しくなってくる。日本弁 護士連合会提案の地震被害住宅等復興共済制度は相互扶助の精神に基づくもの であって、社会保障という観点をとっていないので、この問題についてはクリ アーできるものと思っている。

Cシステムの進化について
 福崎氏らがまとめた日弁連の共済制度案について、有志の会の事前質問の中 には、細かい点について、いささかあげ足取りめいたものが含まれていた。以 下はそれらについての福崎氏の回答の要旨である。
 共済制度が設立されることで終わりなのではなく、制度成立が始まりの始ま りになると思う。実際に運用してみて、システムの進化をはかるということが 重要である。運用上のノウハウの蓄積は、同様の他の制度にその蓄積を利用す ることが可能であろうし、耐震構造の住宅の全国普及をはかるための制度とし ても利用しうる。制度は早く作って運用する方が早くよいものに成長すると思 う。

Dその他
 その他、事前質問に関するものとそうでないものと、福崎氏の論点は多岐に わたったが、その中からいくつかの論点を拾っておこう。
◆新進党の共済制度案には賛成しかねる。建築物のみの補償は、確かに対象数 が絞られて、資金的な問題と制度の煩雑さとを緩和することになるが、それで は問題自体の解決には不十分である。都市部における賃貸層と持ち家層との比 率を考えてみるだけで、この案が十分には機能しないことは想像がつく。そも そも、持ち家層救済にウエイトがかかった制度自体では国民的合意をえるのは 困難だろう。再検討をのぞみたい。
◆共済の掛け金に関するシュミレーションは、現段階では特別に科学的根拠の あるものではなく、制度を作った場合にどの程度の支払いになるのか、どの程 度の金が集められるのかという実感をもつために行っているレベルのものであ る。要するに、国民的合意をえるための一つのステップと考えたらいいと思う 。
◆長崎の運動で皆無だったのは、国会議員との連帯だった。長くは続かなかっ たが被災者団体がちゃんとしていた時期に、きちんと勉強する気力と努力のあ る国会議員はほとんどいなかった。霞ヶ関との交渉では国会議員の役割は大き いものがあるので、本当に勉強する国会議員を探して、協力者の位置において おく必要があると思う。

E今後の活動につなげるために
◇それぞれの事前質問項目に対し、福崎氏から非常にプラグマティックな提起 がなされたものと考えられる。全般的には、目標の達成のために、それがなさ れやすい環境を整えるための臨機応変な手段選択を行うことが重要だ、という ことだったと思う。
◇自治体の役割ということについていえば、「いい人」がその行政機関のしか るべきポストに存在するということが、一見したところ、決定的な要因である ように感じられた。しかし、単に人の問題ではなくて、「自治体と住民の信頼 関係の構築」が存在するかどうかということが重要であるのなら、自治体を単 に敵に回すのではなくて、行政マンとして信頼のおける立派な人たちを市民の 側から従前につくる努力がものをいうのだ、というようにも感じられた。これ は、自治体のシステム云々の問題でもあろうが、システムを動かしているのも 人なわけだから、人を含めた議論展開が必要だろう。
◇共済にしても、基金にしても、その運用に関しては、市民のモニタリングシ ステムを採り入れていく必要があるだろう。作りさえすれば終わりというので はないことを自覚し、システムをチェックするフィードバックシステムを組み 込む必要があると思われる。そうでなければシステムの進化は望めないだろう 。
◇「公」と「共」とが共同歩調をとれる道を探らなければならないと思うが、 どのような共同歩調があり得るのかということを真剣に考える必要があると思 う。優先順位の第1位は理論的にも運動的にも実現可能性にあるのであって、 「公」か「共」かという問題はそれに従属する(実はどちらも大した違いはな いかもしれない!)。利害を異にするさまざまな集団が、一度は「公」の軸に 結集し、いま一度別の機会に「共」の旗のもとへはせ参じる、ということが運 動的にみて非現実的である以上、少なくとも一度は、すべての役割分担の網が 、多少の幅はあるにせよ時間軸上のある一点の共有に向けて編み上げられる必 要がないだろうか。


ワークショップ第三回 論点の整理

第3回ワークショップ論点整理 1996年10月31日(木)
松本邦裕(神戸大学学生震災救援隊)

0.はじめに

兵庫県案についての最初説明が行われたが、その内容については割愛する。 ただ、兵庫県案は、No Loss - No Profit≠原則とした運用を行うという 点だけは、今まで聞いたことがなかった。内容としては、徴収した保険料は全 て保険金給付にのみ用いて、共済事業の事務費にも使わなければ、それで利益 も出さないということであり、これが地震基金制度の大原則ということになっ ているようである。

1.これまでの中央省庁との交渉状況について

 とにかく、「地震共済」制度について交渉する「窓口」がどこにも見あたら ないという状況であるようである。要するに、交渉相手を探す段階でつまずい てしまったのであるから、中央省庁の壁は非常に厚いということが言えるであ ろう。このあたりに、「地震共済」制度制定の件について、行政体が「運動」 体の一つとして登場するという「前代未聞」のことが生じた大きな理由である のは、間違いないことであろう。とにかく、交渉「窓口」として当たりをつけ た中央省庁は、以下の通り。
@大蔵省保険2課:保険事業全般について扱っている部署として選定。感じ としては、一応つきあってくれるという程度であるらしい。
A自治省企画室:自治体発案の新制度については、ここに持ち込まれるらしい 。持ち込まれただけのようだ。
B国土庁:防災関係について全般的に扱っている省庁として選定。防災関係を 全般を扱っているだけに、「地震共済」制度については総論的に捉えていると のこと。
C建設省:「地震共済」制度が住宅再建についての制度であるので、住宅制度 を主務する省庁として選定。防災行政ということでも、災害対策行政という点 でも一旦は管轄外の省庁だけに、傍観者としての態度を決めているとのこと。 被災者の災害対策行政の主務官庁である厚生省が「窓口」の対象になっていな いが、それは「地震共済」制度が被災者救済案というよりは、都市直下型地震 の教訓の新制度化と県の方で認識しているからとのことであるが、ひょっとす ると、このあたりにも行政内部のセクショナリズムの問題が絡んでいるのかも しれない(関係する事項は、別のところにも記述)。
 また、大蔵省との交渉の際に強制加入の地震共済制度の成立用件として以下 の点が指摘されているようである。
@地震のリスクが全国的なリスクであること。
A保険金給付の対象が均一であること。
B被害からの回復手段が均一であること。
C住宅への価値観が、一般に高い価値観を認められていること。
D応能負担原則が貫かれていること。
E保険金負担が受認範囲であること。 
 あくまでも当日の説明によれば、@「地震は全国的リスク」であり、A「持 ち家または賃貸と対象は均一」で、B「回復手段は補修・再建・移転・購入程 度しかなく」、C「住宅は生活基盤として一般的社会的に高い価値観」をもち 、D「当然貫かれて」いるし、E「月間千円強程度の負担はリーズナブル」と いうことで、県案は大蔵省の成立用件を満たしていると認識しているとのこと であった。

2.強制加入制度に関する問題について

 伊賀興一氏から、日弁連案作成時に議論となった強制加入保険にできるのか という問題について質問があった。すなわち、現在、強制加入保険には、@自 動車の自賠責保険、A健康保険や年金保険がある。前者は、自動車の運転とい う危険行為を行うということに強制加入させる根拠をおいているが、「地震共 済」について建物の所有または利用が危険行為に当たるとはとうてい考えられ ないし、これは所有(利用)者の外的行為からの防衛ということなのだから、 そもそも該当しない。後者は、社会生活上の絶対不可避のリスクということに 根拠をおいているのだが、地震がそれと同程度のリスクと言えるのかというと 少し問題がある。確かに、「社会連帯」という観点から強制加入ということが 言えるかもしれないが、それ以外でその根拠を作れないものだろうか、という ことであった。
 この点は非常に難しい問題なので、頭を悩ましていることのことであった。 「保険」というと上記の問題がついてまわることになるので、「保険」と言わ ずに「共済制度」と言い換えるようにしているとのことであった。

3.行政の苦しい立場

 行政マンとしての苦しい立場というものが散見された。それが悪い悪くない ということではなくて、その立場というものは一応理解してあげなければなら ないと考えられる。
 まず第一に、県内部の地震関係の担当部局についてであるが、現在のところ 、「復興本部」の下に「生活復興局」「産業復興局」「土木復興局」「住まい 復興局」の5つの部局がおかれそれぞれがそれぞれの分野で対応しており、そ れとは別に知事公室で「地震共済」制度制定について動き、「復興基金」は外 郭団体として存在しているということであるらしい。新聞報道によれば、県は 行政機構のセクショナリズムの防止のため、関連する部局の統合をいくつか手 がけているようであるが、それでもなおセクショナリズムの存在を打ち消すに は到っていないようである。震災関連部局は統合されてはいるものの、統一さ れていない、要するにそれぞれの施策間の整合性や方向性の不揃いはどうしよ うもないようである。
 足達さんが、それぞれの災害対策事業についてそれぞれの部局の者でないと 明言できないし、「地震共済」は災害対策事業というのではなく、新潟地震の ときに「地震保険制度」ができたのと同じように、大規模都市型地震を被った 自治体の責務として次の災害のための新たな制度づくりという側面で取り組ん でいるので…、との発言があったが、そのように発言せねばならない状況、そ のものがかわいそうで仕方がなかった。もっと自由な発想でに活躍できる環境 設定はできないものなのだろうか。
 災害対策と「公的補償」制度制定との関係については、伊賀氏より、保険料 という財政的裏づけがないと「公的補償」的な事業が行えないというわけでは なく、現行制度上でも行う余地はある。現行制度での「公的補償」的な事業実 施を追求することが、新制度制定の必要性の理解を広め、その推進力になると 考えられる。現行制度の延長線上に「共済制度」自体の実現があるのではない か、という指摘がなされていたが、その通りだと思う。 その他、遡及適応の 問題について、現行法遵守という大原則を行政マン自らが破ってもよいのかと いうことや、制度制定や遡及の問題で政治過程に行政マンが深くコミットして よいのかなど、立場性から生じる苦しさが散見せられた。最大限の活動できる 範囲で、暗中模索されている様子はよく分かったような気がする。

4.基金制度についての理解

 行政のセクショナリズムの関係でいうと復興基金の事業について、その出自 を公的資金をもつも以上は、直接(現金)給付(補填)事業は行えない。島原 の場合の基金は義援金の積み立てによるものなので、それができたが、復興基 金は公的資金の裏づけがあるものなのでできない、との発言があった。雲仙の 長崎県の基金と復興基金は、全く同制度の公的資金の裏づけのある基金である こと、長崎県は直接給付事業を数多く行ったことは、「公的補償」に関心のあ る者が少なからず知っていることであり、先回のワークショップでも福崎さん も基金事業の可能性を高く評価されておられた。これは、どちらかというと、 足達さんが誤解していたというよりは、どこかの部局にそう信じ込まされてい たということではないだろうか。このあたりに、行政のセクショナリズムの問 題や、統一した方向性をもった災害対策の欠如ということの問題がみてとれる と思う。
 基金制度については、復興基金は雲仙岳災害対策基金の先進性の牙をすべて 抜かれてしまったものという評価が出されているが、図らずもまさにそれを裏 づけることになったような気がする。

5.「地震共済」制度と関連する政策分野

「地震共済」制度が、住宅の再建または住居の確保補助という制度である以 上、住宅政策と密接な関係があるのはいうまでもないことである。大都市居住 のあり方として、どうあるべきなのかという住宅政策の基本姿勢に、「地震共 済」制度も規定される側面があると考えらる。提案されている県案では、最終 的には「持ち家」の推進という方向に政策誘導されるように感じる。今回の地 震の教訓というのは、酒井一さんも強調することであるが、住宅政策がまった くなわれていなかったということであり、今後の住宅政策のビジョンなしに「 地震共済」制度の議論を行うことは、あくまでも今後の災害対策制度を模索す るという側面にのみを考慮するとして、できあがってくるものに非常な危惧を 私は覚える。
 足達さんも住宅政策との関係については、個人的にその通りだと考えると言 われ、「どうして建設省がもっと本気になってくれないのか」ということを述 べておられた。発言者の意図としては、中央官庁の建設省の住宅政策も問題で あろうが、まず県の住宅局との政策のすり合わせをもっとすべきではないのか ということにあったと思われるので、その点については、足達さんは少し誤解 があったものと思われる。

6.その他

◆兵庫県案はまだまだ確固としたものではなく、これでいいのではないのかと いう当面の判断に基づいて作られたものなので、今後どんどん改良を加えてい く姿勢を私たちはもっているとのことであった。
◆「地震共済」制度の発想は、集まった義援金1,768億円を寄付者当たりにす ると4,000〜5,000円程度になることから、一人当たりのこの程度の額を継続し て使えないものか、10年積み立てたら5兆円になるではないかということであ ったそうである。
◆足達さんの様子を伺うに、最初はフロア全員からつるし上げをくらうために 出向させられ、住民にいじめられている行政マンという感じが拭えなかった が、途中から吹っ切れたのか(開き直ったのか)、いい感じにポンポンと話し をされていた。最初から、そんな感じで話してもらえれば、もっとおもしろか ったのにと思ったのは私だけだろうか。私たちは、そんなにこわかったのだろ うか。


「阪神・淡路大震災への更なる支援と災害対策の新たな制度に関する緊急提言」
:1996年11月27日 公的補償を求める有志の会

1.阪神・淡路大震災に対する支援策に欠けているもの  〜「総合的政策」と いう視座から〜

 自然災害によって一つの大都市圏が壊滅的打撃を負った場合、そこから立ち 直るためには、避難所も、仮設住宅も、ライフライン・インフラ・公共施設等 の復旧も、商工業の振興策も、失業対策も、さまざまな現実のニーズに対応し た医療・福祉事業も、公的および民間賃貸住宅の建設も、使途を限定しない災 害援護金の給付も、住宅再建/確保資金の給付も、要するにありとあらゆるこ とが必要です。阪神・淡路大震災の経験はこのことをはっきりと私たちに明ら かにしています。今回の震災に於いては、公共事業への支援策の偏り、縦割り 行政の弊害等がつとに指摘され、現金給付に到っては義援金を除き支援策全体 の中で見れば皆無といってもよいほどです。阪神・淡路大震災への更なる支援 策と今後の新たな災害対策制度とは、実効性の面からみてバランスがとれ多彩 な整合性ある総合的政策に基づくものでなければならないと私たちは考えてい ます。
 総合的政策とは、都市住民の多様な階層性と生活形態(加えて民族性等)に 配慮するということであると言い換えることもできます。一口に「個人補償」 といってもさまざまな形態と方法が必要です。いわゆる「個人保障」が多様な 形態をとるべきであるのは、人々の生活の形態が多様であるのに応じて災害に 見舞われたときの困り方が多様であるからです。この観点から、現行の支援策 に欠けており今後求められるべき給付制度を分類すれば、a)使途を限定しな い災害援護金の給付(これは階層性や所得を問わず必要です)、b)さまざま な階層性と状況の変化に柔軟に対応できる基金による給付事業(内容からみれ ば生業・生活支援事業と社会福祉的事業。また、状況の変化に対しては法改正 によらなくても「事業計画の見直し」等で対応できるという利点。さらに単な る金銭の給付にとどまらず、職業訓練や高齢者ケア等文字通り事業展開が可能 )、c)持ち家層および民間賃貸住宅経営者層が中心的対象となる住宅再建資 金給付、以上3点が本来的には必要だと考えられます。そして、少なくともこ の3点の実現に配慮することが、いわゆる「超党派」の運動を作り上げる基礎 になるものと思われます。

2.社会的到達点としての雲仙岳災害対策基金

 雲仙で全壊世帯に給付された住宅再建資金1000万円は大半が義援金に基づく ものであるとはいえ、少なくともその内の150万円は基金の純然たる運用益に よるものです。
 この点だけをとっても雲仙岳災害対策基金は日本の災害対策史上において画 期的だといえましょう。また、事業の対象と内容から見ても、被災者に対する 直接的給付事業のほとんどない阪神・淡路大震災復興基金に比べて、雲仙基金 は給付と利子補給とのバランスがとれた、対象分野からみても多彩な(総合的 な)事業を展開しています。
 主に災害規模の違いと財政的な理由から阪神・淡路基金にはさまざまな制約 が課されていることは承知の上で、また民間支援団体等への助成策については それなりの評価はできるにしても、あえて阪神・淡路基金は雲仙基金からのほ ぼ完全な制度的後退であると私たちは断定しています(有志の会発行「公的補 償」3号参照)。
 一方、義援金についてはその私的性格が強調され過ぎているのではないかと 思います。おそらく雲仙でも、統計に表れない親族・友人等からの見舞金など は相当な額に上ったことでしょう。しかし雲仙の場合それらとは別に、義援金 はその拠出者の動機が私的なものであるという性格をもちながらも、それが募 集委員会等によって集められ被災地住民と行政の努力によって公的資金をも投 入して基金に結実させ、まがりなりにも一部で住宅と生業・生活の再建が成っ たということは、これを一つの社会的達成と見なければなりません。雲仙基金 は、日本の社会に存在する相互扶助・連帯の精神が「公」の下支えによって形 になって現れ有効に生かされたもの、すなわちひとつの社会的到達点であると 考えることはできないでしょうか。このような視角から阪神・淡路に寄せられ た1780億円の義援金を見るとき、その雲仙に比べた相対的な額の低さばかりが これまで強調されてきたきらいがあると思われます。むしろその絶対金額の大 きさ(と100万人を超すといわれる震災ボランティアの活躍)を見れば、やは り国民・住民の社会的な相互扶助・連帯の精神の存在はここ阪神・淡路大震災 の地で(奥尻を含めれば)三たび実証された、と一旦は積極的に評価し、その 上で社会的相互扶助・連帯の精神を生かしつつ(または前提としつつ)雲仙で の到達点から後退しないためにはどんな政策と制度が新たに必要になってくる のかと問うべきだと私たちは考えています(有志の会発行「資料」改訂版48p 「わたしはこう考える」参照)。

3.市民・議員立法案の射程

 現在衆参両院で賛同議員を続々と増やしている「大災害による被災者の生活 基盤の回復と住宅の再建等を促進するための公的援助法案」(通称「市民・議 員立法案」)独自の主張は、市民・議員立法という運動形態を捨象すれば、大 きくふたつの論点に集約できると思われます。ひとつは災害救助における国家 行政の責務を明確にすること(前文)、もうひとつは使途にしばりのない援護 金の国家による一律給付です(本文第三条一項)。この二点の主張それ自体は 500万円という金額の多寡は別として総合的政策の観点からも当然のものだと 思われます(上記1)。その意味では、阪神・淡路大震災に際して災害救助法 23条の現金支給規定を柔軟に生かせなかったという点で国を批判することは必 要なことでもあるでしょう(大阪弁護士会伊賀興一氏の論参照)。
 しかし、同じく総合的政策の要求に立脚すれば、阪神・淡路復興基金の雲仙 基金からの後退を「23条問題」と同等の権利をもって批判することもできます (上記2)。もし、阪神・淡路大震災の被災者に対して現時点で援護金的性格 の500万円の支給を遡及的に国に認めさせることに政治的戦術としてではなく 、原理的に最優先権を付与するならば、そのことは、たとえば仮設住宅に住む 80歳の独居老人に対して基金による多彩な(現金給付のみならず福祉を支える 「人と器うつわ」への支援等をも含めた)福祉的事業を行うよりも、500万の 現金をポンと渡す方が政策的に優先されるということになってしまわないでし ょうか(相当な額の預貯金を抱えたまま孤独死するという悲惨!)。つまり、 国家による援護金の支給と基金事業等とは論理的先後関係にあるのではなく、 災害発生から復興に到る時系列上の先後関係に過ぎないものと思われます。  また、雲仙から後退しないという基準を住宅再建資金の面からみれば、援護 金的500万円では不十分であるのは明らかであり、義援金が相対的に少ない場 合には原則として運用益のみを利用する基金でもやはり不十分なことはつとに 指摘されているとおりです。市民・議員立法案の内容にほぼそった形の共産党 案(「生活再建支援法案大綱」)のように住宅再建資金としてさらに500万を 上積みするにしても、この分の財源を目的税または赤字国債の発行なしに国庫 から捻出しようとすれば、公共事業費、防衛費、ODA費などの枠に抵触する可 能性が大いにあり、現在の自民党政権下ではその実現には相当の困難が予想さ れます(もちろんこのことはなんら共産党の責任ではありません)。さらによ り根本的には、個人の所有となる住宅の再建資金に対して税として集めた金を 直接国庫から投入して良いものかという大問題の発生が避けられません(交付 公債とて同じこと)。というのも、すべての人が住宅を所有しているわけでは ないからです。それとも住宅の非所有者にも住宅再建支援金として500万を給 付するということでしょうか? あるいは、住宅の所有・非所有に応じて金額 に差を付けるとしても「持てる者」優遇になる懸念なしとしません。となれば 、住宅(持ち家・賃貸)の再建資金はその所有者による共済でまかない、良好 かつ低廉な賃貸住宅の供給は別の政策誘導(たとえば基金)や自治体への財政 的支援等で2重3重に後押しするとしたほうがすっきりとするのではないでしょ うか。さらに付け加えていえば、持ち家中間層が当事者として表舞台に登場す るにあたって、現実に持ち家の再建が可能な制度として住宅共済制度を立てる ことにより、諸制度実現の戦略上大いに有利になるという点も指摘できます。  以上のような観点からすると、全壊世帯への500万円給付等の市民立法案本 文の性格は、これを総合的政策中の援護金給付制度として限定して位置づけ、 逆に法案前文に集中的に表現されている国家行政の責務は、援護金の給付等に とどまらず、基金・共済制度等をも有機的に結合させた、被災地の実情に即し た実効性ある新たな総合的政策の実現によってこそ果たされるとするほうが、 次に述べるように諸勢力間のネットワークを編み上げる上からも有効なのでは ないでしょうか。

4.市民立法・基金・共済の三位一体 〜市民立法を突破口に!〜

 上の1、2、3で述べたことから明らかなように、「援護金給付制度(=市民 立法案本文)、給付に重点をおいた柔軟な基金事業、住宅再建資金給付制度( =住宅共済案)は制度としてどれも同等に必要だ。なぜならそれぞれはみな対 象と方法が(目的においては相互に重なりつつも)異なっているからだ。現行 の社会制度を前提にする限り、3制度のうちどれ一つが欠けても災害対策とし ては不十分だ。すべての勢力はこの最大限の総合的政策要求で一致しよう。」 これが私たちの基本的コンセプトです。
 もちろん、現実の政治過程と限られた財源手段とに規定されて大きな妥協を 強いられることも当然予想されます(現時点でできないことはできない)。し かし、妥協にも基準がなくてはなりません。設定された基準によって妥協の内 容も規定されます(被災地の実情に対する実効性が問われる)。また、運動の 第二幕として2500万人署名の成果をひっさげて兵庫県・日本生協連・全労済協 会らからなる「国民会議」が表舞台にセリ上がってくるのが予想される中で、 諸勢力が最大限の総合的政策要求で一致できないままに制度それ自体にこだわ って、「市民立法か、共済か、はたまた基金か」と問いを立てることは、運動 の存立基盤たる諸階層間の対立をいたずらにあおり、超党派の基盤を失わせ、 必然的に運動の分裂を招くと考えるのは杞憂でしょうか(新制度の政治的な実 現可能性が問われる)。ちなみに国民会議は署名に入る段階で要求を「住宅・ 家財」に絞るという自粛的妥協を行い、日弁連は運動体としての参加を取りや めて国民会議から離脱するという事態がすでに生じています。このような状況 下で基金と共済の幸福な結婚を目指して孤軍奮闘する日弁連自然災害保障制度 小委員会の活動は注目に値します。
 さて、市民・議員立法案にせよ、基金や共済案にせよ、それらがいわゆる「 個人補償」にあてはまるかどうかはともかく、どれ一つをとってもその十全な 形での実現に到るまでにはすべての勢力の結集が必要だと考えられます。国民 会議は共済、基金案を掲げて2500万人署名に取り組んでいる真っ最中ですが、 署名の要求項目の主眼が「審議会」の設置に置かれている点と、国民会議とい う枠づくりが署名に先行しているという点とを考慮に入れると、いわゆる「民 意の反映」に関しては市民・議員立法に比べてやや間接的であるといわねばな りません。(私たちはこれらの点で国民会議を非難しているのではありません 。時間的理由その他から、そのようにならざるを得ないことを私たちは理解し ているつもりです。)また、国民会議を構成する主要団体は大きな組織体が多 く、機関決定や組織間合意に手間取るのもやむをえません。このような意味で 、市民・議員立法が果たすべき先行者としての役割は、政治的な新たな試みの スタイルの面からも、国会の中にネットワークを張りつつあるという実践面か らも、ますますその重要度が高まっているといえましょう。すべての勢力が結 集した力をまず初めにどのように生かすべきか、もはやくどくどしく述べる必 要はありません。
 まとめの意味で、ここまで述べてきたすべての観点から当面の方針を次頁に スローガン風に列挙して、この拙い提言を終えたいと思います。

4つの提言

一、阪神・淡路大震災へのさらなる支援とその経験に基づく新たな災害対策の 諸制度との基礎は総合的政策に置かれるべきであり、国はこの総合的政策の実 現に責任を負うべきである。

二、総合的政策に基づいて新たに行われるべき諸施策の出発点は雲仙岳災害対 策基金であり、ここから後退することは許されない。そのためには相互の有機 的連関をそなえ、国民・住民の相互扶助・連帯の精神に基づいた諸給付制度の 導入が不可欠であり、具体的制度としては、援護金給付制度・基金による多様 で柔軟な給付制度・住宅共済制度の三位一体的な実現が望ましい。

三、阪神・淡路大震災の被災地の現状を憂い、将来に禍根を残さざることを希 うすべての勢力は最大限の総合的政策要求で一致し、その実現に努力すべきで ある。

四、現時点で国会にもっとも深く食い込み、手続き上も今後の政治の在り方と してきわめて重要な論点を提起する市民・議員立法勢力を全ての力を挙げて支 援し、総合的政策実現の突破口に!

発行:公的補償を求める有志の会  〒663 兵庫県西宮市津門西口町7-3  TEL 0798-36-6679  FAX 0798-36-5114  E-mail kouteki@poboxes.com


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