|
私は、神戸市は東の端東灘区の住人、でんがなまんがな@真面目なサラリーマンです。東灘区は40%
が全半壊となった位被害の大きい地区でした。地震の最中は「一体何が起こったのか分からない状
態」というのが正直なところでした。今回の地震で有名になった「活断層」と少し離れていたため
か、我が家族と家には大きな被害はなかったのですが、周囲の悲惨な状況を見るにつけ「何かをし
なくては」と強く思いました。結果的に、オフロードバイクを活用して、ニフティサーブの地震フ
ォーラムに書き込まれた親子・兄弟や友人・知人の安否確認の依頼に応えるという活動を個人的に
続けることになりました。
後から考えるとあれも1つのボランティア活動というわけですが、この「独りボランティア活動」
はテレビや新聞で採り上げられ、私にとって貴重な思い出になりました。
しかし、このままではあの地震は私にとって「楽しい想い出」に終わってしまうという不思議な苛
立ちといったものを感じていた頃、ニフティサーブのボランティアフォーラムへのお誘いを受けま
した。これが私のボランティア活動第2段のきっかけとなりました。
その頃は特にするべきことも見付からず、会議室での議論も「震災体験の風化」「被災地と東京との
温度差」といった暗い話題ばかりでした。そんな話ばかりやっていても展望が開けないと皆が感じ
ていた状況でもありました。たまたま、フォーラムのメンバーで忘年会をやろうという話になり、
まだまだ震災の傷跡が残る三宮で開かれました。このオフは以後も続くことになるのですが、それ
ぞれが自分なりに何が出来るのかを考えながらできる範囲で行動し、オフで情報交換や自分のアイ
デンティティーを確認する・・・元気の出てくる「まじめたのしい」雰囲気とでも言えば良いので
しょうか。
そして、出会うはずもなかった多くの素晴らしい人々と、永年の知己の様なつき合いができる、不
思議な空間でもありました。地震によって、貴重なネットワークを得ることができたわけです。
ところで、一体私自身に何ができるのか・・・神戸に住んでいるので震災関連情報に触れる機会は
多いのですが、被災地外ではそんな情報に触れることは殆ど無いという話を数多く聞いていたこと
、一方ごく普通のサラリーマンである自分にでも出来ることは何かを考えた結果得た結論は「被災
地からの情報発信」でした。そんな経緯を経て、ボランティアフォーラムやインターネットのホー
ムページを活用した情報発信を続けています。
ところで、神戸の復興というのは、単に神戸の街が元に戻ることではありません。そして「経済成
長至上主義」「企業中心社会」「自由競争が唯一の原理」といった、これまでのパラダイムではも
はやこれからの社会は成り立って行かないということの検証の場となるでしょう。新しいパラダイ
ムが実現するまで、まだまだ「孤独死」などの悲劇は続くでしょう。
親・兄弟・子供その他自分の周りの方が亡くなってしまった・・・そんな人達の心は永遠に復興
できません。自分では気がつかなくても神戸の人達は全て「苛立っている」と言えるかも知れない。
これからも「できることを、できる範囲で」続けて行きたいと思います。
家族です。
KitaNetホームページに戻る。