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[記事一覧]
1. 神戸で震災犠牲者鎮魂のチェロコンサート 01/22
2. <震災調査>4割が被災前と後の借り入れで二重ローンに苦しむ 01/21
3. <特報・阪神大震災>「生きがい仕事サポートセンター」を開設 01/20
4. 険しかった再建の道 11世帯は戻らず 01/19
5. <記者の目>阪神大震災と市民の変化 増田耕一 01/18
6. 震災テーマに市民討論会 子供のPTSDなど討議 神戸市 01/18
7. <追悼手記>阪神大震災被災学生悼み 9大学の新聞サークル 01/18
8. 復興住宅住民の3割近くは、戻りたいが、戻れない 01/18
9. <記者の目>阪神大震災 仮設住宅の教訓 高尾具成記者 01/17
10. <余録>阪神大震災とペット 01/17
11. <阪神大震災>「被災者の支援終わらせない」 市民・議員ら 01/17
12. <阪神大震災>ろうそくの光で「1・17」の文字 神戸市 01/17
13. 慰霊行事続く被災地 宝塚市でも追悼式典 阪神大震災から5年 01/17
14. 学校追悼式に両親が初参列、「未来への時刻みたい」 01/17
15. 復興再建に引き続き全力…額賀官房副長官 01/17
16. 追悼式で初めて君が代 01/17
17. 6432人の犠牲者に祈り 本格復興へ決意新た 01/17
18. <阪神大震災>優しかった父よ友よ 追悼式で再起誓う 01/17
19. 小渕首相あいさつ要旨 01/17
20. 残された課題に全力 貝原俊民兵庫県知事 01/17
21. きめ細かな支援進める 笹山幸俊神戸市長 01/17
22. あの日の記憶、胸に抱き 揺れる炎の「1・17」 01/17
23. 「希望の灯り」ともる 記憶とどめる語り部に 阪神大震災 01/17
24. 「母だと思い世話しよう」 阪神大震災で老母亡くした酒店店 01/17
25. 全国各地でも追悼行事 ろうそくの火で「1・17」 01/17
26. 「勇気糧に立ちあがろう」 1・17宣言 01/17
27. <震災5年>芦屋市で追悼式 北村市長「体験を語り継ぐ」 01/17
28. <争点論点>阪神大震災5年 貝原俊民・兵庫県知事と 01/16
29. <余録>阪神大震災5年 01/16
30. <震災5年>17日で丸5年 12兆円投入も生活再建遠く 01/16
31. 淡路島で神戸から移設された「神戸の壁」の完工式 01/16
32. 「慰霊と復興のモニュメント」除幕式 神戸・中央区で 01/16
33. 阪神大震災から、まる5年 01/16
34. 民主党、被災者の住宅再建支援法案提出へ 01/16
35. 阪神大震災の被災体験を芸術で表現 01/16
36. 神戸の災害復興公営住宅、高齢者8割が通院 01/16
37. 被災地巡るiウオーク 歩く距離に応じ募金 01/16
38. 横浜で震災犠牲者追悼のろうそく6500本を点灯 01/19
39. 被災者の心と体むしばむストレス 01/16
40. <特報・阪神大震災>倒壊した建物の復興度は「西高東低」 01/16
41. <社説>5年間で見えてきたこと 01/15
42. <阪神大震災>復興過程の検証報告会 2テーマの主な内容 01/15
43. 自宅再建組に不公平感 少ない支援にローン苦も 01/15
44. 地域で復興する姿描く 大震災の記録映画完結 01/15
45. 新耐震基準下で建てた木造住宅も3割以上が「危険」 01/15
46. <芽吹く>阪神大震災から5年 南京町に「元気」学んだ 01/15
47. 全国4カ所でサバイバルウオーク 01/15
48. 「震災と美術」展始まる 兵庫県立近代美術館 01/15
49. <阪神大震災>被災地の子供たちが描いた画集が出版される 01/15
50. 被災者支援金制度、全壊でも3割余が不支給 01/15
51. 都市計画の手法など検証 震災対策報告会が閉幕 01/14
52. <キャンパる>阪神大震災から5年 大学でケア専門講座 01/14
53. <阪神大震災>被災者用仮設住宅の入居者が14日、ゼロに 01/14
54. 「もう少し仮設で」が本音 3年半かけ独力で自宅再建 01/14
55. <特報・阪神大震災>兵庫県「生活復興資金貸付制度」打ち切り 01/14
56. <特報・阪神大震災>復興住宅の孤独死、昨年37人に 01/14
57. 事務所ビルの再建6割 神戸中心部の被災地区 01/14
58. 復興進み、犯罪も増加 兵庫県警まとめ 01/13
59. 市民の震災の知恵冊子に 01/13
60. 次期国会で法成立目指す 新しい住宅再建支援制度 01/13
61. <特報・阪神大震災>アンケート結果「震災前より生活が苦しい」 01/13
62. <阪神大震災>遺児の約4割が「死にたいと思ったことある」 01/12
63. 被災地のヘリ取材は自粛を 震災検証会議で提案 01/12
64. 県外被災者の被害激しく 京大防災研が調査報告 01/12
65. 「全体で8割復興」 笹山神戸市長が会見 01/12
66. 資金難で復元計画難航 震災で全壊の谷崎旧邸 01/11
67. 阪神大震災関連死が2人増加 全体で6432人に 01/10
68. <阪神大震災>被災した新成人の4人に3人がボランティアに 01/10
69. 兵庫の被災マンション、震災5年でほぼ復興 01/10
70. 震災復興住宅での孤独死・自殺、この1年で38人 01/09
読売新聞ニュース速報:「阪神・淡路大震災復興5周年 鎮魂のチェロ・コンサート」(読売新聞大阪本社、
読売テレビ主催、兵庫県、神戸市など被災20市町後援)が21日、神戸市の神戸国際会館で開かれ、約2千人が犠牲者のめい福を祈る荘厳な調べに聴き入った。
2年前に同市内で開かれた「1000人のチェロ・コンサート」の感動を再びと、当時の出演者やプロのチェリスト、市混声合唱団らが参加。「希望」をテーマにした第2
部では、フィナーレに組曲「いのちあれ いのち輝け――神戸これから」が披露された。
同市中央区で被災した主婦(68)は「深い音色を聴きながら、避難生活の日々を思い出しました」と話していた。
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毎日新聞ニュース速報:学識経験者らでつくる民間の「住宅復興市民委員会」(代表・岸本幸臣大阪教育大教授、事務局・神戸市兵庫区)は21日、阪神大震災で損傷した自宅を再建した兵庫県内の被災者らを対象に実施したアンケートの結果を発表した。「住宅が復興出来た」と回答した人は約半数しかなく、約4割が被災前と後の借り入れによる二重ローンに苦しん
でいる実態が明らかになった。
昨年11〜12月の間、県内の被災地(10市10町)に住む「自力再建者」らにアンケート用紙を配り、郵送などで476人から回答があった。
アンケート結果によると、被災当時の住居は、戸建て住宅や分譲マンションなどの持ち家が83・8%▽借家や賃貸マンションなどが9・1%▽その他・不明8・1%――だった。
震災後に自宅を建て替えたり、マンションを購入した人は51・6%で、平均2605万円の経費がかかっていた。また、補修派は35・8%で、平均594万円。抱えているローンは平均1727万円で、38・5%が二重ローンを抱えていた。
住宅復興については、「完全復興」や「おおむね復興」を合わせても54・8%で、「復興していない」層が14・1%もいた。
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毎日新聞ニュース速報:阪神大震災で被災した高齢者らに生きがいとなる働く場を提供しようと、兵庫県は19日、「生きがい仕事サポートセンター」(仮称)を来年度から、神戸市内に開設することを決めた。センターの運営自体も市民や市民グループに委託する予定で、市民による市民の生きがいづくりを目指す。県はまず、被災住民が地域に役立つことを主目的に起こした事業に資金助成する「コミュニティー・ビジネス」制度で助成を受けた9団体の求人情報を紹介する。
9団体の事業は、タオルで作る象の形のお手ふき「まけないぞう」の製造・販売▽竹炭の製造・販売、交流会▽高齢者グループホーム支援――など。
被災地では、ボランティア活動の高まりの結果、同事業への若者の参加が多く、県は「仕事を通じた共同作業の中で、年齢を越えた仲間づくりも」と期待している。
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共同通信ニュース速報:神戸のJR三ノ宮駅から徒歩八分の国道沿いに建つ十三階建てのマンション「レーベン三宮」。阪神大震災で全壊し、昨年三月に再建された。高層階から神戸港や六甲山が見渡せる眺望は、震災前と変わらない。だが、建て直しをめぐるごたごたなどで十一世帯が立ち退くなど、深い傷跡も刻む。
全壊したマンションは一九七一年、神戸市住宅供給公社が分譲した十二階建て(住宅七十戸と事務所・店舗十一)。住宅の広さは一戸当たり約六十平方メートル。当時からの入居者は「約四百万円で、立地条件の割に安く、買い得物件だった」と言い、大地震に遭うなど思いもしなかった。
幸い犠牲者は出なかったが、再建への道は険しかった。容積率規制で、建て替えれば一割の人に出ていってもらうか、居住面積を一割ずつ削るかしかなかった。隣接する市有地の払い下げを求めたが駄目だった。
震災特例で容積率が緩和され、公開の空間を設ければ十四階建てが可能となったため、建て替えを議決。マスコミで特例初適用と騒がれたが、住民から異議が出て振り出しに戻った。ローンを払い終えていない人もいれば、部屋割りに納得できない人もいた。
住民同士の利害が対立、話し合いではしばしば怒号も飛んだ。
管理組合理事長だった栗山要さん(74)は一年たたないうちに「住人同士の人間関係に疲れた」と理事長を辞め、二十四年間住み慣れた家を手放した。
後任を引き受けたのは無職仙波康子さん(72)だった。「女性の自分で務まるのか」と不安で胃が痛くなるほどだったが「肩ひじ張らず、女性ならではの新しい家を考えよう」と決意。
限られた予算でいかに住み良い部屋にできるか。仮設住宅で再建を待つ主婦らとあちこちのマンションを見学、喫茶店に集まり知恵を絞った。震災翌年の九月、再建の再議決にこぎ着けた。
一戸当たり約五十五平方メートルとやや狭くなった住宅七十七戸と八つの事務所・店舗。話し合いのさなか、栗山さんら四世帯が別の道を歩み、七世帯は入居せず売りに出した。
同マンションで暮らす仙波さんは「私の居場所はここ。一生住み続けたい」と言う。
一方、栗山さんは今、新興住宅地のマンションに住む。「突然起こった災難に、みんな普通の精神状態ではなかった。私も一生懸命やったが空回りした」と唇をかみ「新しいビルの前を通ると胸が痛む」と複雑な気持ちを打ち明ける。
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毎日新聞ニュース速報:阪神大震災直後、被災者は互いに思いやり、支え合い、助け合った。それから5年。
あの体験を懐かしさと思い入れを込めて「震災ユートピア」と呼ぶ人もいる。今、ユートピアはないが、それまで互いにばらばらで、無関心だった人々がボランティアや地域活動を始めるなど、被災地の意識は確実に変わった。震災は6432人という尊い人の命を奪い、残った人々の心にいやせぬ傷を残す一方で、市民が個として自立して「公」の意識に目覚め、新たな関係を築き始めるきっかけともなったのだ。
私は震災翌年の1996年4月に神戸支局デスクに赴任した。それまで震災取材とは無縁だったが、その年の秋に発表された大阪、京都、神戸3市による市民アンケートは新鮮な驚きだった。震災後の消費行動や意識を問う設問で、「変わった」と答えた人が、京都では52%、大阪では62%だったのに対し、神戸では76%にものぼっていた。それまで大阪に住んでいて、震災が人々にこれほど影響を与えたことには思いが至らなかった。
その後、4年間、震災担当を続け、被災地の市民の意識の変化が気になりながら、うまく記事化することができなかった。昨年10月17日から連日、大阪本社発行の紙面では「震災から明日へ」という読者のコラムを掲載した。そこで被災者自身が自分の言葉で、その変化を語っていた。
今は沖縄県に住む被災者の女子高校生(17)は「大変な毎日だったよ。でも、何か充実してた。そして、すごく学んだ。……そんな毎日の中で私たちは何かに気づきだしたっけ。オモイヤリ、キビシサ、タスケアイ、ヤサシサ」と書き、兵庫県西宮市の大学生(22)は「震災後、多くの人を助け、助けられ、隣にいる誰かにかけがえのなさを
感じた。その時の人と人のつながりを忘れないようにこの5年を過ごしてきた」とつづっていた。
震災直後、被災地の人々は国や行政などに頼りきりではなく、学校や公園などの避難所や仮設住宅で、自ら新たなコミュニティーを築いた。それは自らのために自らで律する緩やかな共同体だった。あの時、親しい人を含めた無数の死や、街の崩壊という壮絶な体験を経て、人々は逆に気高さと倫理性を持ったのではないか。個から他者へ、社会へと目が開かれ、新たな「公」の意識を獲得したのだ。
戦後の日本社会は、米国からもたらされた民主主義によって「個」を尊重してきた。だが、それは表面的なもので、個人主義の実態は自己中心主義にすぎず、そこから他者
との関係は抜け落ちていた。多くの自治会や町内会などの地縁組織も、行政を支え、補完する存在にすぎず、自立した個人が地域で結びあう集団ではなかった。
そうした意識の下では、「公」は国家や行政、つまり「御上(おかみ)」でしかない。実はそうでなく、個と御上のはざまで、市民同士が支え合う場こそが「公」なのだ。阪神大震災は、他者との関係の中で確固とした自己を持って意見を主張する自立した個人を少なからず生み出し、その個人を基盤とした公を見直すきっかけとなった。
被災地の市民が身につけた公の意識が端的に表れたのは、1998年秋に実施された神戸空港建設の是非を問う住民投票条例制定を求める署名運動だったと思っている。署
名数は有権者の4分の1の約31万人にものぼった。その前年に行われた市長選で当選した現職が得た得票数を約4万票も上回っていた。
運動が始まった時、市民自らの利害に直接かかわらない空港の建設問題だけに、関心はあまり高くないだろうと予想していた。それだけに、かくも多くの市民が建設の是非を住民投票によって決めたいと意思表示したことには驚かされた。震災直後、市民がまだ避難所にいる時に建設推進を表明した神戸市の姿勢への疑問や、空港の是非、財政へ
の影響などを冷静に考えた結果だったのだろう。それは震災体験によって高まった社会への意識によるものだったはずだ。
被災者だけでなく、この5年間に全国から訪れた150万人以上のボランティアの若者たちもそうだ。彼らを被災地へと突き動かした衝動が何であったにせよ、他者を助けたいという思いの中には、どこかに公の意識の芽生えがうかがえる。被災地での体験は、市民同士の助け合いや支え合いの尊さを強烈に意識させたはずだ。彼らはそれぞれの
暮らす場所に戻り、その体験は着実に育っている。
昨年起きたトルコと台湾の大地震で、阪神大震災の被災地のNGO(非政府組織)やボランティア団体は、すぐ現地に向かい、救援活動に携わった。海外での災害復興を長期的に支援する民間協力機関を設立する動きも進んでいる。
震災を経て、こうした市民が増え、一人ひとりが地域の、社会の主人公となっていく。そして日本の民主主義はようやく根付いていくはずだ。
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共同通信ニュース速報:阪神大震災を契機に浮き彫りになった子供の心的外傷後ストレス障害(PTSD)や、ボランティア活動の今後の課題などを話し合う市民フォーラムが十八日、神戸市中央区の神戸市勤労会館で開かれた。
フォーラムは、兵庫県内のボランティア団体や非政府組織(NGO)などの主催で、専門家やボランティアら約百五十人が「災害と子供たちの心のケア」など五つのテーマに分かれ、議論した。
災害と子供たちの心のケアでは、阪神大震災による子供たちのPTSDについて、神戸市児童相談所の井出浩さん(精神科医)が「震災後の家庭環境の変化や、仮設住宅などの住居環境のストレスがPTSDからの回復を遅らせている」と指摘。
その上で「震災によって多くの死を目の当たりにした結果、『自分は無力だ』と思い込んだ子供がいまだに多い。親など周囲の大人
が声を掛け、子供たちが自分の存在に自信を持てるようにすべきだ」と心のケアの重要性を強調した。
庫県や神戸市の職員やボランティアらが、海外の災害への救援活動などについて討論した。
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毎日新聞ニュース速報:
阪神大震災で亡くなった大学生を追悼する学生新聞の特集号「被災学生 5年目の追悼手記」が、神戸大など9大学の学生新聞サークルでつくる「UNN関西学生報道連盟
」(大阪市淀川区)から発刊された。学生56人の生前の写真や遺族の手記を現役学生が集め、タブロイド版(8ページ)にまとめた。地震当日、午前6時に息子を起こす約束をしていた母親が「起こすことができず、ごめん」とつづるなど、遺族の深い悲しみが伝わる。
文部省によると、震災で亡くなった学生は神戸大39人▽甲南大16人▽関西学院大15人――ら31大学の計111人。同連盟は昨年10月から、遺族に寄稿を依頼。「我が子の死をまだ受け入れられない」という遺族もいたが、約半数の学生56人の遺族や関係者から手記や談話が寄せられた。遺族の住所は東北から九州まで17府県にわたっている。
関西学院大2年だった松本美穂さん(当時20歳)は、兵庫県西宮市の下宿先のアパートが倒壊し、犠牲になった。学費や生活費はアルバイトで賄い、童話作家になるのが夢だった。父親は美穂さんに呼びかけるように、「いっぱいの思い出をありがとう。母さんは相変わらずよく泣きます。父さんはお前の形見の自転車に乗っています」とつづった。
月命日に必ず、娘の下宿跡や大学の慰霊碑参りを続ける父▽鉄道2万キロ完乗という息子の夢を引き継ぎ、5年間鉄道の旅をしている父▽息子の形見の原稿用紙に悲しみをつづった母。受話器の向こうで、おえつする遺族もおり、取材の学生たちは何度も涙したという。
取材デスクを務めた枋谷(とちたに)亜紀子さん(21)=神戸大3年=は「在学中に被災した世代は既に卒業し、大学内で震災は急速に風化しています。自分たちと同じように学生生活を送っていた先輩が突然亡くなった震災を、現役学生に考えてほしい」と話している。
神戸大など5大学で配布したほか、ホームページでも手記全文を公開。希望者には郵送する(実費負担)。問い合わせは同連盟(06・6307・1315)。ホームページのアドレスは、http://www.unn―news.com/sinsai/tokusyu2000/
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朝日新聞ニュース速報:
阪神大震災の被災者向けに建てられた災害復興公営住宅の入居者のうち、3割近くの世帯が、震災前は自分の家や土地を所有していながら、5年を過ぎてもなお住み慣れた元の地域での「自力再建」を果たせないでいる。高齢だったり、土地や家屋の権利関係が複雑だったりすることが原因とみられる。こうした世帯の不動産には、損壊したままの状態で放置された建物や更地が少なくなく、震災で大きな被害を受けた地域の復興が「虫食い」状にしか進まず、コミュニティーが戻らない一因にもなっている。
朝日新聞社が昨年12月、兵庫県内の復興住宅で500世帯に聞き取り調査した結果によると、震災前に持ち家だった世帯は27%。このうち半数近くがすでに住宅や土地を手放し、更地のまま残している世帯も4分の1にのぼった。
神戸市垂水区名谷町の復興住宅に暮らす田畑国子さん(71)は、JR三ノ宮駅から歩いて5分ほどにある木造2階建ての持ち家が震災で半壊した。家屋は5年たった今も2階の床が抜け、家財が散乱したまま残っている。
自身が高齢で年金生活なうえ、知的障害のある娘(48)の世話に追われていることもあって、再建はあきらめた。建物は6戸が連なる長屋形式。田畑さん宅以外の部分に今も住む人がいるから、解体や売却もままならない。
会社員だった亡夫と50年近く住んだ自宅のことは気になる。「見ればつらくなるから、元の家にはずっと寄っていません。健康に暮らすだけで精いっぱい。これから復興住宅で、親しくしてもらえるご近所さんをつくりたい」という。
神戸市北区の復興住宅に2年前から住む男性(78)は、長田区で米穀店を営んでいた。木造2階建ての店舗兼自宅は全壊。約50平方メートルの敷地は残ったが、再建を断念し、震災から1年後に市に売却した。
理由は、住民がなかなか戻ってこないため。一帯は区画整理の対象になったこともあり、本格的な再建が遅れている。「たとえ再建できても、長いことお客さんだった人がちりぢりになった。商売にならない」と話す。
自転車で回れる範囲の顔見知りを顧客に50年以上続けた店だった。年々売り上げは落ちたが、娘を嫁がせた後は妻(73)と2人、年金もあって生活できた。
5年後の今も、周辺は空き地と仮設の建物が目立つ。「区画整理が終われば人も戻るでしょうが、それまで待ってたら私ら死んでしまう」と妻は話した。
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毎日新聞ニュース速報:
阪神大震災から丸5年になる17日の3日前の14日、被災者用仮設住宅入居者がゼロになった。震災3日後の1995年1月20日建設が始まり、同年11月のピーク時には4万7911世帯が暮らした。住民同士のきずなも生まれたが、孤独死やコミュニティー形成など、全国に通じるさまざまな問題が浮き彫りになった。5年近く仮設住宅を取材して学んだのは、「人を救えるのは人以外にない」という当たり前のことだった。
235人。兵庫県と大阪府の仮設住宅で、だれにもみとられずに死亡した一人暮らしの入居者の数だ。私が駆け付けた「孤独死」の部屋は、布団とテレビだけで寒々としており、ベタリとした吐血の横にウイスキー瓶が転がっていた。
「震災をくぐり抜けた命を、なぜここで絶やさねばならないのか」。多くの人のこの思いが、自治会設立やボランティアの支援を加速させた。仮設住宅はあくまで「住まい」という箱にすぎない。そこで生きていくには、人とのきずなや人と出会える場が必要なのだ。
部屋に閉じこもらないようにと仮設住宅内の集会所を使った「ふれあい喫茶」という社交場も出来た。1年を過ぎたころからは、郊外の仮設住宅に住むお年寄りらが一つの部屋に集まり、身の上を語り合う姿が見られるようになった。
慣れ親しんだ元の住まいから見ず知らずの場所に移り、同じつらい体験をした知らない人同士が支え合って濃密なコミュニティーが生まれた。198人目の孤独死の現場で、亡くなった73歳の女性の遺族に、住民の一人が声をかけ、遺族は立ち止まって会釈した。そんな関係ができていたことを見て、当初の孤独死とは違い、むしろ“見守られた死”だったのではないかと気づかされた。
震災直後、避難者は約31万6000人に上り、迅速な仮設住宅の提供が求められた。過酷な避難所生活の解消のため、高齢者や障害者を優先する配慮は当然だった。しかし、結果的に仮設住宅は高齢者らに偏った街となり、、彼らを支える人は極めて少なかった。
神戸市西区の仮設住宅に入居した全盲の夫妻は、早朝1番のバスと電車を乗り継ぎ、約1時間かけて、住んでいた同市長田区の喫茶店を毎週1回欠かさず目指した。足などにハンディのある子供を抱えた同市北区の家族は、自家用車で元の街にある医院に約2時間かけて通っていた。
仮設住宅と対象的だったのが、被災者が自宅近くの公園にテントなどを張った避難所だった。それまでの生活圏に住み、住民たちは自宅の再建や新しいまちづくりについて、知恵をしぼり、アイデアを出し合った。世代構成も、赤ちゃんから若者、お年寄りとバランスがとれ、孤独死の発生もほとんどなかった。
その知恵やアイデアを、行政が支援する復興の選択肢があってよかったのではないかと思う。仮設住宅に入居させることで、住み慣れた場所から住民を遠ざけたこしで、自立性を奪った面もあったのではないか。これは「避難所から仮設住宅、恒久住宅へ」という単一の住宅政策しか示せなかったことの弊害だ。
災害救助法に基づく仮設住宅の使用期限は2年だが、阪神大震災では解消まで丸5年を要した。この年月は決して短くはない。仮設住宅の集まりだからといって、「仮の街」と考えるのではなく、地域コミュニティーを維持したまま集団で移転したり、知らない人同士が出会える図書館や広場、テラスなど、生活圏を作り出せる媒体の整備も必要だった。
同市中央区の人工島、ポートアイランドの仮設住宅の自治会副会長を務めた堀幸雄さん(51)が同住宅のお別れ会の日、話してくれた言葉が忘れられない。「凝縮された5年で出会った人々は、長い間付き合ってきた友だちに等しかった。同じ時間を過ごしてきただけに、街ですれ違えば気軽に声を掛け合う新しいつながりが出来た」。仲間は昨年のクリスマスに居酒屋に集まり、現在の暮らしなどについて話しあった。
また、公園避難所と仮設住宅の両方を体験、昨年12月、同市長田区の災害復興公営住宅に移転した高齢者の心のケアのボランティア活動を続ける三好信雄さん(63)は言う。「仮設住宅での生活は勉強になった。私たちの年代にとっては乗り切るための工夫が必要だった。復興住宅でも、事情は同じ。何もしなければ、孤独死は明日はわが身かもしれん」
確かに、仮設住宅で起こった問題の多くは、「あの混乱した状況ではやむを得なかった。だれもが初めてのことだった」(行政担当者)のだろう。しかし、もう、同じ言い訳は通用しない。災害時の住宅施策は画一的なものではなく、住民の自立性を生かし、「人」主体の多様な選択肢を持ったものでなければならない。これを実現できるかどうかは、私たちが仮設住宅から学んだ教訓を引き継いでいけるかどうかにかかっている。
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毎日新聞ニュース速報:5年前の阪神大震災ではペットも人間と生死をともにし、苦楽を分かち合った。全壊した家屋のそばで、姿の見えない主人を毎日待つ犬、180時間ぶりに救出された犬▲倒壊したアパートから離れようとせず、衰弱して11日目に収容された犬もいる。避難所67カ所でペットの飼い主に「地震前の予知行動のようなものが思い当たるか」と問うたところ、26・2%の犬の飼い主と39・5%の猫の飼い主が「思い当たる」と答えたという▲東京都昭島市の多摩川川床の約170万年前の地層からイヌ属の化石が発見された。イヌ属の化石としては日本最古だそうだ。イヌ属の中でもオオカミの祖形とみられる。多摩川に暮らしていたオオカミの先祖が進化して回り回って阪神の犬になったと想像するのも楽しい▲いまのところ、オオカミかジャッカル、あるいはその両方が犬の原種ではないかと専門家はみている。オオカミかジャッカルかはともかく、原始人がイヌ属の野生動物と格闘、動物を葬った。意気揚々と引き揚げかけたとき、洞穴の奥から「子犬」がよちよち出てきた▲クウン、クウンと訴えながらはい寄ってきた「子犬」に、若者は思わず手をさしだした。「子犬」の幼いぬれた鼻先。「子犬」はクンクンかぎ、指先をチュウチュウ吸いはじめた。何ともいえない甘美な優しい感情が若者の胸にわきあがった。若者は武器を捨て、頭をなでてやらずにはいられなくなった▲ついに若者は不器用な手つきで「子犬」を抱き上げた。「人類がはじめて人類以外のものに愛情を覚えた一瞬である」と動物作家の実吉達郎さんが書いている。その瞬間、野生の犬は家犬に変わった。もちろん想像上の瞬間だが、そんな瞬間が本当にあったに違いない。人間と犬との結びつきは強固になった。阪神大震災でいよいよ強くなった。
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毎日新聞ニュース速報:自然災害の被災者への公的支援拡充を求めている市民団体主催の「被災5年市民=議員追悼集会」が17日、神戸市中央区であり、地元選出の国会議員や県議、市議、市民団体のメンバーら約50人が参加した。阪神大震災の犠牲者に黙とうをささげ、「被災者への支援をこのまま終わらせてはならない」などと訴えた。
市民団体「市民=議員立法実現推進本部」(小田実代表)と「公的援助法実現ネットワーク」(中島綾子事務局長)が主催。両団体は「現行の被災者自立支援金は支給基準に制限があり問題。生活再建のためには新たな市民立法案を制定すべきだ」として、「生活基盤回復援護法案」の立法化を目指している。
参加した衆院議員らは「政府は復興支援から手を引くのではなく、被災地に対する責任を果たし切るべき」「(来月の)政府の復興対策本部解散後も同等の復興施策を進めたい」などと話していた。
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毎日新聞ニュース速報:神戸市中央区の東遊園地で17日、ろうそくの光で犠牲者の魂を慰め、復興を誓う「1・17KOBEに“灯(あか)り”を」が開かれた。午前5時46分、ボランティアらが、水を張った竹筒に浮かべた6432本のろうそくに、全国から集まった火を移すと「1・17」の字が浮かび上がった。午後5時46分には「1・17」と、竹筒約9000本でつくった「KOBE」の字が再び現れ、遺族らは亡くなった家族の面影を明
かりの向こうに見ながら静かに祈りをささげていた。
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共同通信ニュース速報:阪神大震災から丸五年を迎えた十七日、被災地では午後も、兵庫県宝塚市の追悼式が遺族ら約百五十人が参列して営まれるなど慰霊の行事が続いた。同県尼崎市、洲本市などでは、庁舎内に設けられた記帳所に市民が次々と訪れた。
約百二十人が震災で犠牲になった宝塚市の追悼式は同市内の慰霊碑前で行われ、正司泰一郎市長が「大震災の体験と教訓を、自然が与えた大きな警鐘として次世代へ語り継ぎ、未来を切り開く新しい力としたい」と追悼の言葉を述べた。
遺族を代表し、父を亡くした会社社長、宮本範煕さん(62)が「無念の思いで亡くなった犠牲者の分まで力強く生き、安全な町づくりのお手伝いをしたいと気持ちを新たにしています」と慰霊碑に語り掛けた。
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読売新聞ニュース速報:小学六年生だった少女は、卒業の春を迎えることなく、震災で逝った。冷たい雨の降る朝、父と母は、がれきの中から娘の作文『はる』を見つけた。それから卒業式が来るたび、二人は娘が大好きだったチューリップを一人ひとりに贈り続けてきた。十七日、両親はこれまでつらくて顔を出せなかった追悼の会に初めて参列した。
兵庫県西宮市名次町の開業医、江川雅昭さん(46)と妻依子さん(45)。自宅が全壊し、長女の私立小林聖心女子学院小六年真理子さんが、梁(はり)の下敷きになって亡くなった。十一歳だった。数日後、真理子さんの部屋から一冊の大学ノートを見つけた。
はるのようせいまりこがくもからおりてきました
おみずをいっぱいあげたのでちゅーりっぷはずんずんのびてはながさきました
おはながいっぱいさいたのでみんなうれしくておどりだしました
わいわいわいわいはるのうた
一年生の時の作文だった。
真理子さんは、学校で唯一の犠牲者だった。同級生はチューリップの花壇がある庭にペットボトル七百本を積み上げ、追悼モニュメントを作ってくれた。
励ましてくれた子供たちに二人はその年から卒業式の日にチューリップを届け始めた。でも、毎年一月十七日に塔の前で全校児童が営む「祈りの会」に参列するのはつらく、家で静かにしのんできた。
今年、学校から五年間のお礼にと、会に招かれ、出席することにした。
午前八時半から営まれた会では、全校児童五百十五人が追悼の賛美歌を歌った後、「思い出を語りたい」と申し出た六人が、雅昭さんらの前で作文を読んだ。
作文と、六年生全員の寄せ書きを手渡された二人は、「真理子はみんなの心の中で確かに生きていた。心の時計の針は五時四十六分で止まったままですが、未来の時を刻む時計をもう一つ別に持ちたい」と感謝していた。
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読売新聞ニュース速報:額賀福志郎官房副長官は十七日午前の記者会見で、阪神大震災の復興対策について、
「完ぺきに地域住民の安心が確保されたとは思っていない。政府が復興再建に向けてしっかりやるという姿勢を貫いていきたい」と述べ、政府として引き続き復興に全力を挙げる方針を強調した。政府は、「阪神・淡路復興対策本部」(本部長・小渕首相、全閣僚で構成)が二月二十三日に設置期限を迎えることから、これに代わって関係省庁の局長クラスで構成する「阪神・淡路復興対策連絡会議」(議長・竹島一彦内閣内政審議室長)を設置する。
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共同通信ニュース速報:十七日の阪神大震災の兵庫県主催の追悼式で「君が代」の斉唱があり、参列者の多くが歌った。追悼式は一九九六年から毎年行われているが、「君が代」が取り入れられたのは初めて。
兵庫県は「国旗国歌法が施行されたので、県の判断で決めた。国からの要請ではない」と説明している。
司会が「国歌を斉唱いたします。みなさま、ご起立ください」とアナウンス。参列者のほぼ全員が起立し、大阪音大講師の片桐仁美さんの声に合わせ、斉唱した。
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共同通信ニュース速報:阪神大震災から十七日で、丸五年を迎えた。被災地では、発生時刻の午前五時四十六分、市民らがろうそくをともし黙とう、犠牲者六千四百三十二人のめい福を祈り、本格的な復興への決意を新たにした。
兵庫県公館(神戸市中央区)で営まれた県の追悼式には、皇太子さまや小渕恵三首相らが参列。貝原俊民知事は「震災との闘いの軌跡から得た教訓を生かす道を探り、国内外に発信していく」と述べ、二十一世紀に向け、教訓を語り継ぐことを誓った。
また神戸ポートアイランドホール(同市中央区)で催された神戸市の追悼式で、笹山幸俊市長は「すべての市民にとって安全で安心な町づくりに取り組む」と、参列した市民ら約四千五百人を前に約束した。
この五年で被災地は、住宅や道路などの社会基盤はほぼ復旧。ピーク時には約四万六千六百世帯が身を寄せた仮設住宅も丸五年を目前に解消した。
しかし、本格復興はまだ道半ば。長引く不況で地元経済は低迷し、自宅を再建した人には多額のローンが重くのしかかる。被災者向け公営住宅(復興住宅)の高齢者は孤独感に悩み、肉親を亡くした人の心の傷もいえてはいない。
被災者の間に生活復興の実感は乏しく、「八割復興」(笹山市長)「七割回復」(貝原知事)という行政側との溝は深い。
四千五百八十三人が犠牲になった神戸市の追悼式では、自宅が倒壊、中学一年生だった兄=当時(12)=を亡くした市立飛松中三年、田淵房枝さん(15)が遺族を代表し「優しい兄でした。兄の目指していたお医者さんになることも目標の一つになりました」とあいさつした。
追悼式は県と同市のほか、午前中に西宮市や北淡町など二市一町で営まれ、午後は宝塚市で開かれる。
神戸市中央区の東遊園地には未明から市民が集まり、六千四百三十二本のろうそくに火をともし「1・17」の文字をつくった。学生三十九人が命を落とした神戸大学(同市灘区)や、児童六人が亡くなった市立御影小学校(同市東灘区)では、慰霊碑への献花や追悼集会が行われた。
兵庫県庁では地震発生時刻に、貝原知事ら幹部が集まり復興本部会議を開催、今後の取り組みなどについて協議した。
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毎日新聞ニュース速報:
肉親や友達の死を乗り越え、この春、学びやを巣立つ兵庫県芦屋市立精道小学校6年、小島勝人君(12)=同市津知町=と、神戸市立飛松中学校3年、田淵房枝さん(15)=同市須磨区板宿町=が17日、精道小と神戸市の追悼式で、それぞれ新たな出発を誓った。あれから5年。子供たちは、成長した。歯をくいしばり、くじけなかった。
あの日、自宅アパートが倒壊した小島君は、家族4人とともに生き埋めになった。約3時間後に救出されたが、父謙さん(当時36歳)は亡くなり、母恵子さん(39)も腰を骨折した。
明るく振る舞ってきた。しかし、心には二つの痛みがあった。父のこと、親友のことだ。
「お父さんは僕のために死んだんだよね」。小島君は最近、ふと恵子さんに漏らした。あの夜、「お父さんと寝たい」とせがむ小島君が、いつもと違ってたんすの前に寝た。その隣に譲さんが床についた。「それでお父さんの頭にたんすが当たった。僕はお父さんとたんすの間に入って助かったんだね」。
もう一つの「痛み」は、隣に住んでいた米津漢之(くにゆき)君(当時7歳)、深理(みり)ちゃん(当時5歳)兄妹が亡くなったことだ。漢之君とは兄弟のように育ち、いつも一緒に遊んだ。
丸5年のこの日午前5時46分、小島君は祖父の十二さん(70)が牧師をする教会で祈った。
そして追悼式。昨年も先生が作文の朗読を勧めたが断った。これまで自分から震災のことを話すことはほとんどなかった。しかし、一気に読み上げた。
「漢之君のほねまで見ました。でも死んでしまったのは信じられません。それは、たぶん、心の中で生きているからだと思います……」
■ ■ ■
田淵さんは、2歳上の兄和宏さん(当時12歳)を亡くした。全壊した家の下敷きになった。心臓を患う祖母のため、医師になる夢を持っていた兄だった。
あの日も2人は隣同士で眠っていた。がれきに体を押しつぶされながら、ふと横を見ると兄の右手があった。初めは力強く握り返してくれたが、次第に弱くなり、反応がなくなった。
やさしい兄だった。「20年後の僕へ」と題した小学校の卒業文集には「医者になって困っている人を助けたい」と書いていた。「20年後なんてなかったのに……」。読み返されたそのページは、にじんでいる。
田淵さんは1995年から毎年、兄の2月27日の誕生日に手紙を書き、丸刈りの遺影の前に供えた。その一通には、「兄貴に一言だけ言う! いつになったら帰ってくんの? はよ帰っといで!」とある。
追悼式に、田淵さんは、母の美砂子さん(49)と出席した。あいさつでは、和宏さんが自らの成長と重ね合わせていたキンモクセイの背丈のことに触れた。
「今は私の背丈ぐらいになっています。兄が近くで見守っているように思います」
■兵庫県芦屋市
兵庫県芦屋市茶屋之町の西法寺(上原泰行住職)では、檀家(だんか)やボランティア約50人が「阪神・淡路大震災追悼会」を開き、午前5時46分、鐘を鳴らし、手を合わせて犠牲者のめい福を祈った。
ボランティアで駆け付けた落語家の桂小春団治さんの司会で座談会を開催。この5年間を振り返り、命の尊さについて改めて話し合った。当時を思い起こして炊き出しも実施、周辺の住民にも豚汁を振る舞った。
参加した近くの主婦、川廷夙子さん(59)は「震災の時にいろんな人に助けられた。今日はその感謝の気持ちを思い出したい」と話した。
■神戸市須磨区
神戸市須磨区の神の谷地域福祉センターでは午前5時過ぎ、近所の住民らが、犠牲者への鎮魂の思いを込め、点灯した約600本のろうそくを地面に立てて「1・17 KOBE」の文字を浮かび上がらせた。
震災をきっかけに、住民同士が災害時に助け合おうと結成された「神の谷校区防災福祉コミュニティ」が、昨年から実施している行事。同コミュニティの前田政彦副委員長(45)は「震災を忘れず、防災意識を高めるためにも、これからも毎年続けていきたい」と話した。
■兵庫県伊丹市
陸上自衛隊第3師団(兵庫県伊丹市)の司令部は、「あの日」を記憶し教訓にしようと、震災発生時刻に大震災を想定した訓練を実施した。
午前5時46分、当直が「震度7の地震が発生しました」と幹部に電話。連絡網を使って、隊員約150人に呼び出しをかけると、午前6時過ぎから、自転車やオートバイで、制服姿の隊員が続々と集まってきた。震災を体験した隊員は「あの日、家の中がめちゃくちゃの中、とりあえず家族の無事だけを確認して、駐屯地に駆けつけたのを思い出します」と話していた。
◆兵庫県西宮市
西宮市奥畑の西宮震災記念碑公園にある「震災犠牲者追悼之碑」には、早朝から市民が慰霊に訪れた。追悼之碑には同市関係の犠牲者1081人の名前が刻まれている。午前5時46分には馬場順三市長が花を手向け、めい福を祈った。
公園内にはテント張りの記帳所が設けられ、記帳を済ませた遺族が涙ながらに献花した。碑に手を合わせて黙って祈る人、刻まれた名前を指でなぞる人、花束と一緒に故人にジュースやお菓子をささげる人……。ろうそくや線香をともす光景も目立った
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共同通信ニュース速報:阪神・淡路大震災五周年犠牲者追悼式典での小渕恵三首相のあいさつは要旨次の通り。
六千四百名を超える命を奪った阪神・淡路大震災は近代的な大都市を襲った戦後最大の災害だったが、主要施設の復旧は完了し、仮設住宅も解消した。しかし、暗く辛い記憶に悩まされ、新たな生活の場になじめない方々がいるのも事実だ。地域の雇用・経済情勢も明るい兆しが見られてはいるものの、依然として厳しい状況が続いている。
政府は引き続き復興の施策を講じ、支援が必要な被災者へのきめ細かなケア、雇用確保を可能とする産業の振興、安全で快適な市街地の整備に取り組んでいく。さらに災害時の危機管理体制の強化をはじめ、防災対策を積極的に推進して二十一世紀に向けた「安全への架け橋」を築くべく、安心して暮らせる社会の実現に全力を挙げたい。
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共同通信ニュース速報:貝原俊民兵庫県知事 あの悲しみの日から五年の歳月が流れた。一瞬でかけがえのない命と平穏な生活が奪われたあの時を思い起こすと、胸中にこみ上げるものを禁じ得ない。
四万六千を超えていた仮設住宅の入居世帯すべてが新しい暮らしのスタートを切るなど、真の復興への道は確実に開けつつある。
これからは残された課題の解決に全力を注ぎ、震災との闘いの軌跡から得た教訓を生かす道を探り、広く国内外に発信していく。
私たちは阪神、淡路大震災を決して忘れない。震災の原風景を胸に刻み、だれもが安心して暮らせる成熟した社会を築いていくことが犠牲となられた方々にこたえる唯一の道と信じ総力を結集していく。
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共同通信ニュース速報:笹山幸俊神戸市長 五年前の今日、午前五時四十六分。わずか二十秒余りの激震は四千五百八十三人もの尊い生命を奪い、神戸の町を一瞬にして無残な姿に変えてしまった。慰霊碑を前に、その時の深い悲しみが胸にこみ上げてくる。
神戸の町は本格復興に向け着実に前進しているが、被災された方々が真の生活再建を成し遂げ、安心して暮らすためには、多くの課題が山積している。引き続き、市民、事業者、行政が力を合わせ、きめ細かで多様な支援を進めていく。
また震災で私たちは人と人とのつながりや地域住民の助け合いのきずながいかに大切であるか経験した。その経験を基に、お年寄りや障害者、子どもたちをはじめ、すべての市民にとって安全で安心な町づくりに取り組んでいく。
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共同通信ニュース速報:夜も明け切らぬ街に、ろうそくの炎が揺れ、梵鐘(ぼんしょう)の音が響く。復興住宅で、公園で、教会で…。それぞれの一月十七日午前五時四十六分の記憶を胸に、人々は合掌し、黙とうをささげた。
未明の雨で地面がぬかるむ神戸市中央区の市役所南側の東遊園地の広場。犠牲者の数と同じ六千四百三十二本のろうそくがともり、暗やみに浮かび上がった「1・17」の文字を、訪れた約三千人が囲んだ。
長男を震災で亡くした同市東灘区の会社員藤本東美子さん(55)は「息子は私の中でまだ生きている」との思いとともに復興への願いを込め、ろうそくから同じ広場のガス灯「1・17希望の灯(あか)り」に火を分けた。
入居者の九割が六十五歳以上という同市西区の復興住宅・市営岩岡住宅。
同市長田区の自宅が全焼、仮設暮らしを経て三年前に転居してきた主婦浜岡克代さん(49)は「仮設では一人暮らしのお年寄りの死亡に何度も遭遇し、ふびんでしょうがなかった」と振り返る。
独居死を防ごうと、高齢者の見舞いを続ける日々。「すべて灰になったけれど、助け合って前向きに生きていきたい」と思いを新たにしていた。
大火に襲われ、周囲も焼け野原となった長田区のカトリック鷹取教会では、約七十人が参列して午前五時半ごろから追悼ミサが営まれた。
神田裕神父(41)は「地震ですべてを失った代わりに、人間は一人では生きていけないということを、思い出すことができたのでは」と、信徒らに静かに語り掛けた。
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共同通信ニュース速報:神戸市中央区の東遊園地では十七日、午前五時四十六分の黙とう後、広場に夜通しともされていたろうそくから移した火で、震災で長男を亡くした会社員藤本東美子さん(55)=神戸市東灘区=ら五人が「1・17希望の灯(あか)り」と名付けられたガス灯に点火した。
ガス灯は「犠牲者の鎮魂を祈り、震災の記憶を風化させまい」との願いを込めて設置された。ガラスケース内のともしびは消されることなく、震災の“語り部”となる。
火は、さらに被災者らの手で東遊園地から一キロ離れた同区の神戸港震災メモリアルパークまで、リレー。約百五十個の灯ろうに移され、午前七時すぎ、岸壁から次々と海へ流された。
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共同通信ニュース速報:
阪神大震災で亡くした老母を思い、神戸市東灘区の永島長一郎さん(66)は、酒店を営業しながら、近くの復興住宅のお年寄りらの世話を続けている。
自宅兼店舗が震災で全壊。二階で寝ていた永島さんと妻(63)は無事だったが、一階にいた母、政枝さん=当時(85)=が亡くなった。
三カ月後、貨物コンテナを店舗代わりに営業を再開したが「母には十分なことがしてやれなかった」という悔いは深まるばかりだった。
約二年前、近くに建った復興住宅に、仮設住宅などから被災したお年寄りが次々と転居してきた。その姿に、亡くなった母を見る思いだった。「母だと思ってお世話しよう」と決めた。
復興住宅の見回りのほか、一人暮らしのお年寄りに、孫と遊ぶような気分を味わってもらおうと、児童館の子どもたちとの交流会も企画。住み慣れた地域と引き離されたお年寄りに近所付き合いを復活させた。
永島さんは十七日の神戸市主催の追悼式で、東灘区の遺族代表として献花。「苦労もあったが、確実に人の輪は広がっている」と話す。
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共同通信ニュース速報:阪神大震災から丸五年を前に十六日、全国各地で犠牲者を追悼する集会などがあった。
札幌市の大通公園では、同日夕、ボランティアら約五百人が約二千のろうそくに点灯し「1・17 KOBE」の文字を浮かび上がらせた。偶然通り掛かった被災者の会社員山本和憲さん(47)ら家族三人も足を止め集会に参加した。
一家は兵庫県伊丹市で被災して二年前札幌市に転勤した。当時高校一年だった長女梨可さん(21)は「今も懐中電灯がまくら元にないと眠れない」。
名古屋市の久屋大通公園では、約一万五千本のろうそくがともされ、震災発生時刻の十二時間前の午後五時四十六分、ボランティア
など約千人が一分間の黙とうをした。
高松市の中央公園では、香川県内のボランティアらが約百五十本のろうそくで光のモニュメントを描いた。
佐賀市の市民運動広場で開かれた集会には約八十人が参加。水の入った約千本の竹を「1・17」の形になるよう並べ、ろうそくを浮かべて明かりをともした。
雲仙・普賢岳噴火災害からの復興に取り組む長崎県島原市では、約二百人が市役所前広場で「島原そして神戸へ1・17」を開き、隣の深江町に伝わる「深江太鼓」を使った創作曲「神戸」や、連携のメッセージをテレビ電話で神戸に送った。
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共同通信ニュース速報:
十七日の兵庫県の追悼式で朗読される「1・17宣言」の全文は次の通り。
一月十七日は忘れない
震災は 何の前触れもなく突然やって来て 家族や友人の命を奪い わたしたちの暮らしを破壊した
わたしたちは、大きな教訓を得た 近代都市の脆(もろ)さ 人と人とのつながりの大切さ
あの時、わたしたちは どれだけ多くの人に助けられたのだろう
家族、友人、地域、ボランティア 一人では自分を見失ってしまうような状態でも 共に支えあうことで きりぬけてきた
あの時に分けてもらった勇気を糧に 復興の続くこの地に 今、自らの足で立ちあがろう
あの崩壊の中で学んだことを 人々の未来に生かそう わたしたちの手で、あの時感じた苦悩を 人々の未来から払いのけるために
そして、あの時世界中から分けてもらった ちからを 一人でも多くの人へと わたしたち一人一人が 手渡していこう
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毎日新聞ニュース速報:
阪神大震災で451人が犠牲になった兵庫県芦屋市で16日、市の追悼式があり、約560人が参列した。北村春江市長が「震災体験を21世紀に語り継ぎ、災害に強いまちづくりを霊前に誓います」と式辞を述べ、全犠牲者の名前が読み上げられる中、遺族が祭壇に献花した。
2歳の長女を亡くした同市伊勢町の主婦、友次玲子さん(32)が遺族代表のあいさつ。「悲しみは、どれほどの時間がたっても決して消えてしまうものではありませんが、少しずつ乗り越えて、今の私たちがここにいるのだと思います。震災を風化させないで語り伝えていきたい」。涙をこらえながら祭壇に向かって語りかけると、会場からもすすり泣きが漏れた。
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毎日新聞ニュース速報:阪神大震災から17日でまる5年たった。被災地では仮設住宅がなくなり、人口の回復も進み、町並みは一見、旧に復したように見える。しかし、真の復興が成ったわけではない。震災対策の先頭に立ってきた貝原俊民・兵庫県知事と、「5年間」を検証しながら被災地の将来あるべき姿について論じた。【菅沼完夫論説委員】
菅沼 これだけの大惨事、復旧・復興は簡単に成るものでないが、5年間を振り返り、現時点でどの程度果たせたと考えているか。 貝原 5周年を前に仮設住宅は解消、人口は被災地ではまだだが、兵庫県全体では戻り、経済もGDPベースでは震災前の状態まで一応復旧できた。都市基盤は政府の支援もあって外国からもびっくりされるほど
早く復した。そういう点では、9割方果たせたと思っている。
が、1回失われたものが100%元へ戻るということはあり得ないことだし、日本全体がいろんな分野で構造改革を求められている時代、これだけ多くの社会資本を投じていくとなると、単に元に戻すだけでなく、新しい時代に合った形で復興していかなければならない。それを私たちは創造的復興と言っている。
菅沼 単なる復旧であってはならないということーー。
貝原 これまで日本は若い発展する社会だったから、経済発展に便利なまちづくりで十分だった。高齢社会に入ってくると、住んでいる人たちが安全で安心感を持ちながら生活できる街でなければならない。私たちは人間サイズのまちづくりや、地域でコミュニティーをつくって住んでいる人たちが助け合って生きていくというライフスタイルを提案している。高齢者用のケア付き住宅に気の合った人たちが共同で住まうコレクティ
ブハウジングも少しづつ姿になってきた。
そういった部分も考えると、復旧は5割ぐらいまでできたんかなと思う。
菅沼 震災時、兵庫県は当直職員の不在や広域応援体制などの不備が批判された。改善されたのか。
貝原 災害というと、風水害しか考えてなく、震災には機能しなかった。通信衛星システムも持っていたのに電気が切れて作動しなかった。そこで当直体制を整備し、防災監も設置した。全体像をつかむのが災害対策の基本だが、大きな災害ほど難しい。克服するために断片的な情報をシュミレーションして全体的な被害想定をするシステムを開発した。
菅沼 知事は米国の緊急事態管理庁のような組織の必要性を強調している。どう運用するのか。
貝原 是非設置すべきだと今も強く思っている。平成11年度補正予算で整備が措置された震災のメモリアルセンターでは、震災の経験を風化させないようにいろんな展示をするが、センターをより充実するために震災対策についての実践的研究を充実させたい。大学などで行われているハイテクの学究的研究でなく、災害の現場で役に立つローテク。そういう研究から人材を育成し、外国とのネットワークを作っていきたい。どこかで災害が発生した時、このセンターの人材がバックアップすることもできるのじゃないか。
菅沼 危機管理では政府も指弾された。その後の官邸機能強化策をどう評価するか。
貝原 災害対策の第一線に立つのはまず被災者、次に自治体だが、見えないのは官邸に集まった情報を基にしてどういうふうに被災地をバックアップしてもらえるのかという点。例えば、被災者にとりあえず生活資金としてこれだけ支給するとか仮設住宅はこういう格好で建設してくれるとか。
菅沼 「ボランティア元年」という言葉が生まれたように、被災者支援などでボランティアが大きな役割を果たした。復興対策も含め行政にはボランティアとの提携が不可欠だ。
貝原 日本では災害の時のみならずプライベートセクターとパブリックセクターだけしかなかったのだが、その中間に「公共的領域」とでも言うべき分野が大切なものとしてあるのだと初めて認識された。行政とのかかわりは少しづつ進んでいる。NPO法(特定非営利活動促進法)も最初は行政と対立するもの、だという感じだったが、パートナーなんだという考え方が深まってきた。特に被災地ではそうだ。最初行政と被災者の間で対立があったが、よくよく考えてみると、まちづくりは住民同士の権利調整。協議会を作って行政も関係者も住民もそこに入ってみんなで議論していくのだという形に進んでいると思う。行政にも震災前まで、住民の言いなりにしているといいことにならないという不信感があったが、被災地の現場からみると、日本の市民の力は高まっている。もっと市民の力を信用していい。
菅沼 被災者生活再建支援法ができたが、金額が少なく、東西の生活立ち上げには効果があっても不備、という声がある。
貝原 今のところではこの金額が妥当ではないかということで決められたのだが、現地では金額が少ないという声は確かにある。私たちは生活再建支援と住宅の部分とをセットで考えていたが1つしかできなかったのでそういう感じが強いのだと思う。超党派の議員連盟でも議論されており、最終的には議員立法で何らかのものが生まれるのではないかと期待している。
菅沼 復興後の兵庫県のあるべき姿について行政と住民の間で明確な合意ができていない面があるようだ。理念、イメージがはっきりしないと住民の理解・協力は得にくい。それをもとにして復興を進め、その成果をハード、ソフト両面で世界に発信していくことが大切だ。
貝原 明治元年の神戸開港以来、兵庫県、神戸市は日本の近代化のトップランナーとして走ってきて、外国から知識とか技術などを吸収してきた。今後は環境、資源エネルギー、食糧問題とか地域紛争とかの面で、人、モノ、情報を通して日本が応分の役割を果していかねばならない。世界からの恵みを受け入れる役割をしてきた神戸を中心とする兵庫県がお返しをする番だ。学術・芸術文化、国際協力とかの交流がなされる地域でもなければならない。WHO神戸センターとか、アジア防災センターとか数多く生まれた国際機関を活用していきたい。これらが十分に機能していけば、アジアを中心として外国に恵みをお返しできるのでないか。多くの支援や励ましを受け、これだけ大きな資本投資をしてインフラ整備された地元の責任だとも考えている。
菅沼 そういう試みには市民の力も最大限活用しなければならない。
貝原 賀川豊彦さん(神戸市出身のキリスト教社会運動家、1888−1960)が神戸で始められた生協運動が根づいているこの地では、共生とか協働という言葉が定着している。神戸を中心とする県民意識や精神的風土は成熟している。大きな力だ。
【略歴】
かいはら・としたみ 1933年佐賀県生まれ。57年東大法学部卒。70年自治省課長補佐から兵庫県地方課長、総務部長、副知事などを経て86年知事。現在4期目。
◇視点◇ 風化への危機感強く
日本の災害史上まれにみる大惨事だったが、被災地以外ではその記憶が風化しつつある、という声も聞く。当然のことだが、そうあってはならないという思いが強いのだろう。熱をこめて語り続けた。
自治省のキャリア出身だが、兵庫県庁に移ってまる30年近い。心はすっかり兵庫県民になりきっているようだ。
知事になる前から「能吏」という評判が高かった。行政官としてのその力が、復旧・復興に大きく寄与したことを認める人は多い。
しかし、対談の中で自ら語ったように「新しい時代に合った形」での復興という面では、達成率はまだ5割だ。6年目以降も県民を引っ張り続けるためには、政治家としてのさあなる頑張りが求められる。
一方、国家事業として巨額の資金が投入されたことで、財政に苦しむ他自治体からは、震災対策名目でかねての行政課題解決を図っているのではないかとの批判も耳にする。不況の中で着工された神戸空港はその代表例だ。
「それはない。神戸空港建設計画は震災前からのもの」と言下に否定したが、そういった批判に応えていくためにまず必要なのは、神戸市を中心とする復興後の兵庫県が、地域を超えて日本全体、世界のために震災から得た教訓を実のある形で発信していくことだろう。
「みぞうの大震災の教訓を世界に残すのが責務」という使命感にそんな配慮も加えてほしい。そうすることが、「風化」防止の道につながっていくのではないか。
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毎日新聞ニュース速報:17日でまる5年を迎えた阪神大震災の被災地で昨年1月、1枚の地図が生まれた。多くの犠牲者が出た自治会や個々の遺族らが建てた、慰霊碑や追悼碑、記念植樹など55カ所の設置場所を記したものだ▲設置の目的は慰霊だけとは限らなかったため、地図は「震災モニュメントマップ」と命名された。それから1年。被災者でもある作家の陳舜臣さんらがメンバーになっている有志グループ「マップ作成委員会」が確認しただけでモニュメントの数は120を超えており、今年、改訂版がつくられた▲西は兵庫県の淡路島から東は尼崎市まで、被災地の地図に記された設置場所を示す赤丸群は、激震地区とぴたりと符合する。マップにその説明は書かれていないが赤丸の多い地区で、より多くの人々が犠牲になったことが一目で分かる▲地図というものが、雄弁に何かを語ることを、中国の歴史小説を書き続ける陳さんは熟知していた。英国を取材した際、陳さんは17〜19世紀のロンドン市街地の同一地域の地図を見比べた。そこで浮かび上がってきたのは、路地や大通りの名に、中国の都市や地域の名が付けられては消える「歴史」だ▲その地図を通して、中国と英国との、ひいてはアジアと欧州との、人々の行き来や交易の様子がわかる、と陳さんは解説した。路地名を付けた人々は、それが歴史を語ることになるとは意識していなかったろう。被災地に多くのモニュメントを設置した人々にもそんな意識はない▲戦災や震災の体験や記憶は時と共に風化する。それを止めることはできないが、記録を保存することはできる。そこで、マップ作成委員会は120カ所の碑の由来と、設置場所の詳細な地図を一冊にまとめた「震災モニュメントめぐり」(葉文館出版)も出した。この本も、後世、何かを語ってくれるだろう。
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毎日新聞ニュース速報:戦後の日本社会のあり方を問い直す契機となった阪神大震災から17日で丸5年となる。6432人の命を奪った震度7の激震は、交通網やライフラインのもろさ、政府や自治体の危機管理能力の欠如を露呈させた。復興予算として総額12兆円が投入され、震災の傷跡は見えにくくなったが、その陰で多くの被災者は生活再建にあえいでいる。それでも市民レベルでは、震災直後互いに支え合った「共助」の体験を基に新たな交流を模索する動きが始まるなど、被災地は今も社会にさまざまな課題を投げ掛けている。
昨年、トルコと台湾で起きた大地震で、被災地からは直後にボランティアらが現地に駆けつけたほか、自らの体験に重ね合わせた市民からの義援金が相次いだ。地域を超え、世界に広がる市民のボランタリーな意識は、震災体験を経て高まっている。
被災地に建てられた慰霊碑などを訪ね歩く「震災モニュメント交流ウオーク」もその一つだ。モニュメントの前で多くの人とともに祈ることで、参加者は死の悲しみを共有し、精神的に結びあい、社会に開かれていく。交流ウオークは既に7回を数えた。
こうした市民意識の高まりの一方で、一人一人の生活再建はこれから本番の感が強い。被災者救済のため、1998年5月に成立した「被災者生活再建支援法」は、給付金の最高額が100万円と少ないうえ、支給要件が厳しく、必要な人々の手に届いていないという不満が大い。
そうした声などを受け、全労済協会や兵庫県などでつくる「自然災害被災者支援促進協議会」は住宅再建支援策の骨子をまとめ、早期の法制化を目指している。震災の教訓を学ぶなら、国の真剣な対応が望まれる。
歳月とともに、復興から取り残される人々は見えにくくなってくる。そんな被災地のありようを、私たちはこれからも伝え続ける。
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読売新聞ニュース速報:阪神大震災の証(あかし)と言われる、神戸市長田区にある昭和初期に建てられた公設市場の防火壁「神戸の壁」が兵庫県津名町(淡路島)に移設され、十六日、完工式が開かれた。ライトアップでは赤茶けた“震災の証人”が、暗やみに浮かび上がった。
壁は、空襲や震災にも耐えたが、神戸市の復興事業に伴い撤去が決定。市民で作る保存実行委員会などの働きかけで、同じ被災地の津名町が受け入れを決めた。
<新たなる出発の集い>と命名されたこの日の完工式には、同町や同市民ら約百五十人が出席。同委員会の三原泰治代表が作詩した合唱曲「神戸の壁があったことを」が壁に向かって披露され、「ふるさとの壁はよみがえる」などと歌声が響いた。
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朝日新聞ニュース速報:阪神大震災から5年に合わせて神戸市が建設していた「慰霊と復興のモニュメント」の除幕式が16日、神戸市中央区加納町の東遊園地であり、遺族代表ら約700人が参加した。17日午前5時46分には、全国各地から集まった種火で「希望の灯(あか)り」がともされる。
遺族代表らがモニュメントを除幕すると、一般公開が始まり、市内の震災犠牲者の名前が刻まれたモニュメントを見学。震災で妻を亡くしたという神戸市中央区の会社員鷹見宗英さん(56)は「妻の名前を見つけ、これまでの5年間の生活を心の中で報告すると、胸が熱くなった」と話した。
モニュメントは犠牲者の慰霊と震災からの復興を願って、京都市の造形作家の楠田信吾さんが制作。市民や企業の寄付金約1億6000万円で建設された。
また、阪神大震災で親を失った震災遺児の心のケアに取り組むレインボーハウス(神戸市東灘区)が16日、5回目を迎える「偲(しの)び話し合う会」を開いた。震災遺児の34家族計70人が参加し、わが子を残して亡くなった59人をしのんだ。
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読売新聞ニュース速報:震度7の激震に六千四百三十二人が犠牲となった阪神大震災から、十七日でまる五年となる。被災地では道路や公共施設などハード面の復旧、復興は完了し、五万世帯近くが暮らした仮設住宅も解消された。しかし、地場産業は震災前のレベルに戻らない「八割復興」にとどまり、兵庫県内の有効求人倍率は全国ワースト四位。新築された復興公営住宅でのコミュニティー作りも課題として浮上するなど、被災地は“震災後遺症”に苦しみながら「復興六年目」を迎える。
震災では兵庫県内で十一万棟以上が全壊、全焼した。すでに公営住宅の大量建設などで新たな供給戸数は滅失戸数を上回り、県の住宅復興三か年計画を四万戸以上も上回る約十六万八千五百戸が新築された。
仮設住宅は昨年末の神戸、西宮市に続いて、今月十四日には被災地全域で解消された。しかし、受け皿となった復興住宅では、お年寄りが三割を超える「超高齢化社会」も引き継がれて自治会が機能せず、仮設で社会問題化した「孤独死」や閉じこもり問題も、新しい住まいで再燃した。
同県内十八地区計二百五十三・九ヘクタールで進む復興区画整理事業の仮換地指定率
は平均59%。六地区計三十八・二ヘクタールでの復興再開発事業も、中核施設の完成が一部にとどまるなど「街の再建」は道半ばだ。
経済面でも、神戸市内のケミカルシューズや灘の清酒の生産額は、ともに震災前年の八割止まりの状態になっている。人口も同市長田区で震災前の82・6%で伸び悩み、激震地では人が街に戻らず、商店街や市場など小売業の苦戦が続くなど「八割復興」の言葉が定着した。
大半の岸壁が使用不能となった神戸港は、一昨年に復興宣言を出した。しかし、震災前の九四年には四千二百十八万トンと全国一だった外国貿易コンテナ取扱量(世界六位)は、九八年が二千八百七十万トンと震災前の七割に停滞し、全国三位、世界十七位にまで転落している。
被災自治体は雇用創出など経済復興を来年度からの復興後期五か年計画の最重点目標に位置づけ、復興住宅などの高齢者ケアの充実も盛り込んで被災者の生活再建に取り組む考えだ。
被災地では十七日、地震発生時間の午前五時四十六分に、神戸市中央区・三宮で鎮魂のろうそく一万五千本がともされるなど、様々な追悼式が開かれる。
神戸市は午前十時から同区の神戸ポートアイランドホールで、兵庫県は午前十一時五十分から同区の県公館でそれぞれ追悼式を行い、県の追悼式には皇太子殿下や小渕首相らも参列する。
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朝日新聞ニュース速報:民主党は16日の党大会で、阪神大震災のような自然災害の被災者への公的支援が不十分だとして、公的資金と個人の掛け金による「住宅再建基金」(仮称)の創設などを柱とする住宅再建支援策を発表した。20日召集の通常国会で法制化をめざす。
現行の「被災者生活再建支援法」では十分な支援ができていないとして、基金を創設して被災者の生活基盤の回復に国が務めるべきだとしている。被災者生活再建支援法についても、支援金の上限額を現行の100万円から500万円に引き上げるなど抜本的な改正に取り組む。
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共同通信ニュース速報:阪神大震災の被災体験に基づく作品で知られる神戸市在住の現代アーティスト堀尾貞治さん(60)の個展が十六日、宮崎市松山一丁目の「現代っ子ミュージアム」で、二月三日までの日程で始まった。
震災直後の被災状況のイメージを生活雑貨などで再現した空間芸術や、クレヨンで写真のコピーに着色するドローイング、木版画など約三十点が並ぶ。
堀尾さんは「被災直後から今日までの、わたしの心の変化を見てもらいたい」と話している。
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朝日新聞ニュース速報:阪神大震災の被災者向け仮設住宅から多くの人が転居した災害復興公営住宅で、高齢の入居者の8割以上が医療機関に通い、このうち4割近くが震災後に通院を始めたことが、神戸市西区の民間病院「みどり病院」(額田勲院長)の調査でわかった。収入は年金に頼る人が多く、生活を切り詰めているお年寄りの姿が浮かびあがる。額田院長は「高齢者にとって、震災は寝たきりや痴ほうが進む老後の不安を増幅させた。行政はすべての被災世帯の実態調査をして、若く健康な被災者とは違う特別の支援を講じるべきだ」と指摘している。
震災後、兵庫県内には4万1114戸の災害復興公営住宅が完成。すでに3万9750世帯が入居している。今回調査が行われたのは、神戸市西区の郊外にある市営西神南住宅(456戸)と隣接する市営西神井吹台住宅(690戸)。独居や夫婦で住む65歳以上の150人を対象に面談方式で実施された。
調査では、84%(126人)が医療機関に通院していると答え、そのうち震災後に通院を始めた人は37%(47人)にのぼった。収入を年金だけに頼るのは4人に3人。困った時に相談する相手は家族や親類が84%と高い一方、隣近所は5%と復興住での希薄な近隣関係がうかがえる。ヘルパーによる家事支援など、外部の支援を受けている人は4人に1人にとどまった。社会問題になった「孤独死」については今後、「増える」「変わらない」と答えた人は42%で、「減る」「なくなる」の11%を大幅に上回った。
調査が行われた住宅に独りで暮らす86歳の女性は週に3日、近くの診療所に通う。弱った胃の薬をもらい、冬に痛むひざのリハビリが欠かせない。かつて手術を受けた目が震災後に悪化し、あいさつをする知人の顔が見えない。月額約3万円の年金のうち、5000円を超える医療費がかかる。「助けを求めたくてもどこにいけばいいのかわからない。夜、布団の中で、このまま目が覚めなかったら死ねると思うこともあります」
昨年3月、近くの棟に住む69歳の女性が乳がんで亡くなった。死の3日前、初めて女性を診察した医師は20センチ大のしゅように絶句した。2年間に2度、医療機関で受診しているが、しゅようを診てもらった形跡はなかった。同居していた娘は「知らなかった。本人が言わなかった」と話したという。
神戸市内で最大規模の1886世帯が暮らす復興住宅「HAT神戸灘の浜」。高齢化率が最も高い9番館(178世帯)には、救急車が数日に1度やってくる。安否確認の感知器や定期的に巡回する生活援助員が68人の独居高齢者を守る一方で、「孤独死」寸前で亡くなったお年寄りもいる。
昨年1月、独り暮らしの80歳の女性が部屋で倒れているのが見つかった。新聞受けがあふれていたのに気づいた生活援助員が不審に思ったが、ベルも感知器も鳴らず、扉はカギが掛かっていた。連絡を受けた家族が駆けつけた時、女性は居間でいびきをかいて倒れていた。病院に運ばれたが、3日後に亡くなった。
兵庫県は「応急対策の時期は過ぎた」として、1998年10月を最後に被災世帯の健康調査をうち切っている。
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共同通信ニュース速報:十六日午前、神戸市長田区から中央区まで約十キロを歩き、教会や商店街など阪神大震災で大きな被害を受けた現場を思い思いのペースで巡る「こうべi(あい)ウオーク」が行われた。
歩く距離に応じ、参加者があらかじめ一口千円以上の募金を払う
チャリティーウオークで、今年が二回目。集まった募金は被災地のボランティア団体の活動助成金として役立てられる。
午前十時、長田区の公園に参加者が集まり、犠牲者の鎮魂の意味を込めた白いリボンを付け、手渡された地図を手にスタート。
震災後、ボランティア団体の活動拠点となった長田区の鷹取教会や、震災で焼け野原となり、今は仮設の店舗が並ぶ同区の菅原市場などを巡り、ゴールの中央区の東遊園地を目指した。
那覇市から参加した仲山忠伴さん(65)は「沖縄戦を体験した者として、震災のことも風化させてはいけないという気持ちだ。震災から五年の神戸の町を目に焼き付けておきたい」と話していた。
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朝日新聞ニュース速報:ろうそくをともして阪神大震災の犠牲者を追悼する催しが15日、横浜市中区の山下公園であり、竹筒に浮かべたろうそく6500本に希望の灯(あか)りがともった。
震災から17日で丸5年を迎えるのを前に、震災ボランティアの経験を持つ市民が企画した。被災地とのつながりを強くしようと、夜行バスで運んできた神戸市・大龍寺の種火で点火。夕やみの中、「1・17 KANAGAWA」の文字が浮かび上がり、午後5時46分、横浜港に停泊する「氷川丸」の汽笛を合図に黙とうをささげた。
震災で被災して神奈川県に移り住んだ約40人も参加。1人で暮らしていた兵庫県芦屋市の自宅が半壊し、長男のいる横浜市に移り住んだ宮本義純さん(76)は「もう芦屋に帰ることはありませんが、震災を忘れないという大勢の温かい心を感じることができた」と言う。
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読売新聞ニュース速報:六千四百三十二人が死亡した阪神大震災から十七日で丸五年となるが、震災によるストレスは、若い世代の被災者では「心」を、高齢者では「体」をむしばんでいることが十五日までの、京都大防災研究所の調査でわかった。三十代までの被災者は「気分が沈む」「何をするのもおっくう」など心理的なストレスを訴える一方、高齢になるにつれ「動悸(どうき)や目まいがする」など身体的な症状が顕著になっている。
昨春から被災三千三百世帯を対象にアンケートを実施。
最近一か月間の心身の状態について答えてもらい、「気持ちが落ち着かない」「集中できない」など六項目を心のストレス、「息切れがする」「のどが渇く」など六項目を体のストレスに分類した。
得点は平均がゼロで、数値が大きいほどストレスが強いことを示すが、体のストレス得点では、三十九歳以下がマイナス0・22ポイントなのに対し、六十歳以上はプラス0・13ポイントで影響がより大きい。
一方、心のストレス得点では、三十九歳以下でプラス0・26ポイントと高くなり、逆に六十歳以上がマイナス0・08ポイントに。若い世代が心の傷を引きずりがちな一方、高齢者はストレスが体の不調に結びついていた。
またストレスは、仮住まいが長い被災者ほど強い傾向がくっきり出た。とりわけ、「現在被災地外に住み、近い将来転居したい」と答えた被災者(百八十一人)は、心がプラス0・26ポイント、体がプラス0・12ポイントとなり、数日後に自宅に戻った層(心=マイナス0・11ポイント、体=マイナス0・08ポイント)などと比べ、相当に強いストレスを受けている。
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毎日新聞ニュース速報:阪神大震災で倒壊した建物の復興度は“東高西低”、更地も2万カ所以上残っている――。奈良大地理学科の教員、学生らでつくる「防災調査団」が5年近く続けている現地調査とコンピューターによる分析で、震災復興のそんな姿が浮かび上がった。
同調査団は兵庫県芦屋市、西宮市、神戸市(東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区)で、最初の3年間は3カ月に1回、その後は半年に1回、倒壊した建物のがれきの撤去や建物復興の状況などを現地調査。地上の情報をコンピューター上の地図に入力して分析する「地理情報システム(GIS)」を使って、時期ごと、地域ごとに比較出来るようにし、被災地の復興状況をデータベース化した。
現在、98年4月までの情報を入力、集計。それによると、3市で約8万4600カ所の倒壊家屋が、がれきとして撤去された。このうちまだ更地なのは約3万7000カ所で、現在でも2万カ所以上が更地の可能性があるという。
がれき撤去後に建てた新築建物は同月現在で約4万1800。公営仮設住宅を除く事業用、または住宅の建て替えのために民間で一時的に建てた「仮設建物」は約5800だった。地域別にみると、新築の割合は西宮、芦屋、東灘区で64〜57%なのに対し、兵庫区、長田区は35〜34%台。仮設建物は長田区が13%と高く、他はすべて1ケタ台だった。神戸市中央区では更地が52%も占め、ほとんどが駐車場という。
同調査団は調査結果を定期的に、兵庫県などに提供している。担当する同大学の碓井照子教授(地理学)は「一戸建ての多い東部とアパートなどの集合住宅の多い西部の違いなどの事情が、東西の地域差の原因とみられる。建物新築に公費補助がないのも影響している。駐車場が多いのは不況の影響だろう」と分析。災害時の継続したGISの分析は世界でもまれといい、「あと5年は継続調査し、震災復興の全過程を網羅したデータベースを構築したい」と話している。
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毎日新聞ニュース速報:阪神大震災から17日で、まる5年になる。
国費だけですでに約5兆円を投じた神戸市を中心とした被災地の復興事業は、新たな都市づくりのあり方を問いかけている。
神戸市は震災前、人工島の造成や港湾整備など、大型開発や再開発を推進してきた。大企業などの経済活動をベースにした、機能的、効率的な都市づくりである。
そうした都市が破壊され、それまで見えなかったものが顕在化した。例えば地域でのコミュニティー意識の喪失や高齢社会に対する備えの不十分さだった。
交通網などライフラインを含むハード面の復旧・復興は、極めて迅速に進んだ。ピーク時には約4万8000世帯が入居していた仮設住宅もまる5年を前に解消した。
一方で、高齢者や零細商店主ら多くの被災者が、いまだに生活再建に踏み出せない現実もある。
実は、「神戸港」を核に、鉄鋼や造船・重機などの大企業に大きく依存してきた経済体質は、震災前からすでに下降線をたどっていた。
そんな重厚長大からの体質改善を怠ったまま、社会経済基盤と市民生活が破壊されたのである。
災害だけでなく、高齢化やリストラでの失業者の増大、企業の倒産や工場閉鎖などによる経済基盤の大きな変化など、被災地で噴き出たさまざまな問題は、他の多くの自治体にも共通している。
被災地にとっては、避けようがなかった震災は、災いを転じて、過去を振り切り新たな都市づくりを進める絶好の機会であった。
社会会全体が、被災地で始まった壮大な「実験」に注目していたといえる。
だが、創造的復興という言葉はあっても、具体的な内容がいまだ見えてこないと言わざるを得ない。
それどころか、この機会に、従来の「重厚長大型の、機能的、効率的都市づくり」を再び推進しているとの指摘さえある。
象徴的なのが神戸空港建設だ。復興事業に「便乗」したとして多くの市民が反発したが、昨年秋に着工された。
北九州大の池田清教授(都市政策)は「今の都市経営に求められているのは、大規模開発型ではない。多種多様な地域住民の暮らしや要望に的確に応えうる地域経営である」と指摘する。
復興事業には今後も膨大な公費が投入される予定だ。
今からでも遅くない。街づくりや都市経営に、できる限り「生活者の視点」を取り入れるべきだ。行政主導でなく自治体と住民らが同等の立場で復旧案を練り上げた、「まちづくり協議会」はその一例になる。
もちろん、この5年間で他の自治体の都市経営の参考になりうる芽生えも、いくつか生まれた。
仮設住宅や災害復興公営住宅で、住民支援やコミュニティーづくりの核になった、NPO(非営利組織)と自治会や自治体とのネットワークづくりなどだ。
震災で破壊されたのは、個々の暮らしや経済基盤だけではない。「近代都市」への信頼感も損なわれた。求められているのは「信頼」の再建でもある。それは被災地だけでなくすべての自治体に突き付けられた課題だろう。
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毎日新聞ニュース速報:神戸市で10〜14日開かれた阪神大震災の復興過程を検証する兵庫県の「震災対策国際総合検証報告会」。報告の内容は総括提言としてまとめられ、16日の震災シンポジウムで発表される。今回は14日報告されたテーマのうち、被害程度の認定▽文化復興――の主な内容を紹介する。
【被害程度の認定】
◇重川希志依・財団法人都市防災研究所研究部長
自治体は「義援金配分のため」や「被災者から住めるか否かの安全確認の要望」などさまざまな目的で被害認定調査を行い、統一した目的がなかった。このため、調査結果が想定外のさまざまな支援策の判定基準に使われることになった。被害認定の目的は、行政が災害対策に必要な材料を得る▽住民が安全性を判断する▽行政が再建に必要な情
報を提する――の三つにし、調査前に被災者に明らかにするべきだ。
更に、被害認定は膨大な作業と専門的技術が必要だが、その認識が行政にほとんどな
かった。専門的知識を持つ建築士らの動員体制や行政の専従体制を確立し、苦情処理や
住民説明のための専門家による委員会を設立するといった整備が必要だ。
【文化復興】
◇端信行・国立民族学博物館先端民族学研究部長
阪神間の多くの美術館、博物館も大きな被害を受けたが、それぞれの館は「地域における館の役割は何だったのか」という根源的な問いかけを突き付けられた。各館は、復興の過程で地域との関係の再構築を図りつつある。
現代の文化は、文化財や芸術家の文化活動▽それを利用する人▽支援する行政や企業――の3要素から成るが、人々がどのようなニーズを持ち、利用するかに関心が薄いのではないか。3要素がバランスよく配分された時、文化復興はできたと言える。
【文化復興】
◇端信行・国立民族学博物館先端民族学研究部長
阪神間の多くの美術館、博物館も大きな被害を受けたが、それぞれの館は「地域における館の役割は何だったのか」という根源的な問いかけを突き付けられた。各館は、復
興の過程で地域との関係の再構築を図りつつある。
現代の文化は、文化財や芸術家の文化活動▽それを利用する人▽支援する行政や企業――の3要素から成るが、人々がどのようなニーズを持ち、利用するかに関心が薄いのではないか。3要素がバランスよく配分された時、文化復興はできたと言える。
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共同通信ニュース速報:震災で家をなくした二百世帯調査で、全体の五六%の世帯が、住宅行政に「不満」「やや不満」と回答した。特に、不満の声は自宅を再建した世帯に強く、復興住宅に暮らす世帯の三八%に対し、再建世帯では七四%にのぼった。
復興住宅では、転居費用の補助や家賃減免などの支援があるが、自宅再建した世帯には「私財補償はできない」として公的支援が少ないことが、再建世帯の不公平感を深めたようだ。
自宅を再建した神戸市灘区の男性(63)も「自立支援金くらいでは再建費用の足しにならない」と話す。
自宅再建の百世帯中、ローンを抱えるのは、二重ローン十九世帯を含む五十五世帯。二重ローンとなった東灘区内の女性(43)は「夫の定年時に完済する予定が、七十歳過ぎまで払うことになった」と嘆く。
残り四十五世帯は、主に貯金などを取り崩しての再建だが「ローンはなくても、蓄えをすべて吐き出してしまった」と将来への不安を訴える声が多かった。
一方、復興住宅では、市街地を離れた場所や交通の便が悪い所に建てられているため、六一%の世帯が今の住まいを「第一希望ではない」と答えた。
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共同通信ニュース速報:阪神大震災の発生直後から神戸市で復興の様子を撮り続けてきた青池憲司監督(58)のドキュメンタリー映画「野田北部・鷹取の人びと」全十四巻(岩波映像)がこのほど完結し、震災五周年の十七日にビデオで発売される。自治活動を通じて復興に力を合わせる市民の姿を五年間にわたり記録した貴重な映像資料だ。
撮影の中心は壊滅的打撃を受けた神戸市長田区の野田北部地区で、約千二百戸のうち三割が全焼、残りの七割が全半壊した。住民三千数百人のうち四十一人が亡くなったという。現在は住民の七割が戻り、新たに住む人も増えている。
作品では、道幅を広げる神戸市の区画整理事業をめぐって住民同士の利害対立が起きる中で、震災前からあった自治組織「まちづくり協議会」を中心に話し合いを繰り返したり、建ぺい率の規制を緩めてもらえるように行政に働き掛けたりする過程が克明に記録されている。
青池さんは被災した知人を震災から十日後に訪ね、最初は崩れた近所の家から貸してもらった8ミリビデオで収録。「気づいたら町内会全体に広がっていた」という。
このほど完成した第十四部「証言編」では青池さんが住民十一人に震災後の行動をインタビュー。三十代の男性会社員は「震災前は朝早く家を出て夜遅く帰る生活で、まちづくり協議会の活動はよく知らなかった」と語り、震災になって初めて地域の大切さに気付いたことを伝えている。
青池さんは「地域共同体が復興する過程に関心があった。普段からの近所の人々とのコミュニケーションがいかに大切かを知ってほしい」と話している。
ビデオの問い合わせは岩波映像、電話03(5689)2601。
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朝日新聞ニュース速報:木造住宅の耐震診断結果を分析したところ、建築基準法の改正で1981年から強化された新耐震基準による住宅でも、3割以上が
「大地震で倒壊、大破する恐れがある」と診断されていたことが、工務店や改修工事会社でつくる「日本木造住宅耐震補強事業者協同組合」(小野秀男理事長、埼玉県川口市)のまとめで分かった。壁の配置などのバランスが悪く、耐震性を弱めている可能性が高いという。専門家らは同法の規定の不備などを指摘し、「新耐震基準下の住宅についても注意が必要だ」と呼びかけている。
調査対象は、同組合に加盟する全国40都府県の約230社が、昨年末までの2年間に耐震診断した計1万3632戸。いずれも在来工法による木造住宅で、平均築年数は21.4年。このうち5479戸が、新耐震基準が適用された81年以降に建てられていた。建設省指針により地盤や基礎、老朽度、壁量、壁の位置などを診断し、「倒壊、大破する危険あり」「やや危険」「一応安全」「安全」の4段階で評価した。
この結果、診断した全住宅の48%にあたる6547戸が「危険」とされ、「やや危険」と合計すると75%の住宅について補強工事が必要とされた。建築年次別にみると、81年5月に新耐震基準が適用される以前に建てられた住宅は「危険」が58%、「やや危険」が25%で両者の合計が83%。一方、新基準下の住宅については、「危険」35%、「やや危険」31%で両者の合計は66%だった。築6年未満の住宅に限っても両者の合計は56%あった。
耐震基準が強化される前と後を比べると、危険性は下がる。だが、同組合事務局の西生建さんは「新耐震基準後の建築は、施工ミスなどより、南側に窓など開放空間が集中して壁面の配置が良くないケースが目立った」と話す。建築基準法は木造建築について壁量や柱の太さなどは細かく定めているが、壁の配置などバランス面では
「釣り合いよく配置する」としているだけで、設計者の裁量にまかされている。
阪神大震災で木造住宅の被害を調査した鈴木有・秋田県立大学教授(耐震工学)は、「懸念していた通りの結果だ。2階建て以下の木造建築では、設計をバランス面から点検するシステムがないためだ。また設計通りに施工されなかったり、後に窓を開けるなど改築されたりして耐震性を弱めている例も少なくない」と指摘する。その上で「(住宅金融公庫の推奨基準の)高耐震住宅基準を使えば、木造でもバランスを考慮して構造計算される。まだ9府県にしかないこの基準の適用地区を広めると同時に消費者もそれを使うなど、制度づくりと意識向上が大切だ」と話している。
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毎日新聞ニュース速報:「すごい熱気だ」。1997年2月、神戸市元町の中華街「南京町」の恒例行事、春節祭で会場整理を手伝っていた山形県酒田市の市連合青年団長、池田勝幸さん(38)は圧倒された。
アクロバットさながら、高さ1〜2メートルの足場をポンポンと飛び移る獅子舞に、会場を埋め尽くした見物客が沸く。「とても震災で打撃を受けた街とは思えなかった。正直、悔しかった」。池田さんは振り返る。
◇ ◇ ◇
酒田市は76年10月の大火で市街地の約20ヘクタール、約1800棟を焼失し、全国から救援物資が届けられた。同市連合青年団などは「恩返しに」と、メッセージ入りのレンガで歩道を修復する事業に協力し、春節祭を視察した。
池田さんら派遣団15人は、打ち上げに参加した。「すごい人出ですね。酒田の祭りとは全然違う」。池田さんは、南京町商店街振興組合副理事長の曹英生さん(43)に感動を伝えた。「40万人です。でも、震災後、祭りをここまで立て直したのは、30歳代前後の10人なんです」。たった10人で、と池田さんは驚いた。
そんな池田さんらに、曹さんが続けた。「私たちが怖かったのは、何もしないで街の魅力が落ちることだった。各店が団結し、一斉に店頭販売を始めたのは震災数日後でした」。柔和な表情の曹さんが、池田さんには急に頼もしく見えた。
◇ ◇ ◇
池田さんは10代後半を横浜で過ごした。都会暮らしにあこがれ、酒田を出て新聞配達をしながら高校に通った。だが、都会の生活になじめず、心は落ち着かなかった。21歳の夏、地域の触れ合いを求め、池田さんは帰郷した。青年団に入ったが、期待は外れた。一時は500人いた団員が20人にまで激減し、年1回の「さかた青年まつり」を開く以外、活動の場はなかった。
南京町から帰って3週間後、池田さんたちは、青年まつりをどうするか話し合った。池田さんはいてもたってもいられず、みんなも興奮していた。深夜2時まで議論が続き、一つの結論が出た。「多くの人が一つになれるように、ミュージカルをやろう」
1年後の98年2月21日。創作ミュージカル「Yo Shi Tsu Ne」の幕が上がった。約400人収容の会場は立ち見が出た。高校生から40歳代まで100人以上が役者や裏方として参加し、子育てに忙しい主婦も、衣装作りを手伝った。池田さんは、自分の思いが通じたことがうれしかった。打ち上げの後、涙があふれて仕方なかった。
◇ ◇ ◇
池田さんらは、地元のイベントに獅子舞グループを招待したり、春節祭に酒田の特産品コーナーを設けるなど、今も南京町との交流を続けている。
曹さんは、池田さんたちの活躍に「いろんなアイデアを生かし、私たちを超えていってほしい」と口元を緩めた。池田さんは今、ミュージカルの実行委員長として公演の準備に忙しいが、春節祭には行くつもりだ。「南京町を訪れると、『おれたちも負けられない』と元気付けられるんです」。
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朝日新聞ニュース速報:大震災に備えて自宅まで歩き通せるかどうかを試みるサバイバルウオークが15日午前、東京、横浜、京都、大阪の全国4カ所で始まった。
主催する「帰宅難民の会」(吉武正一代表)の集計によると、合計約810人が参加。阪神大震災で亡くなった人たちに対し黙とうしたあと、東京都庁(新宿区)、神奈川県庁(横浜市中区)、京都市役所(中京区)、大阪市役所(北区)を午前8時半すぎ、一斉に出発した。
約450人が参加した東京では、地元の警視庁新宿署が、震災時の心構えを書いた小冊子とともに乾パンを参加者に贈った。老人会の仲間とともに参加した茨城県牛久市刈谷町、平田善憲さん(67)は「過去2回は雪や腰痛のため(千葉県の)柏で断念したが、今年はなんとか歩き通したい。家に着くのは夜中の12時ごろになるでしょう」と話していた。
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共同通信ニュース速報:阪神大震災後、美術が震災とどうかかわってきたかを振り返る展覧会「震災と美術―1・17から生まれたもの―」が十五日、神戸市の兵庫県立近代美術館で始まった。
震災の惨状の紹介や犠牲者の追悼など震災に関連する洋画や日本画、写真、漫画など幅広いジャンルの約百五十点の作品や資料を紹介。この五年間に美術が果たした役割を一望できる。
同県西宮市の自宅で被災し亡くなった画家、津高和一さんの遺作となった絵画「作品」や、同県芦屋市に住む写真家、浜岡収さんの写真「小さいいす二つ 神戸市東灘区」などプロの作品だけでなく、被災した小学生の絵も展示される。
震災後の美術界では、神戸や阪神間の美術館で震災関連の展覧会が度々開かれたほか、芸術家が作品を通して人々に勇気を与えるとともに、幅広い芸術分野の活動を助成する組織「アート・エイド・神戸」も設立された。
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毎日新聞ニュース速報:1995年1月の阪神大震災直後に、被災地の子供たちが描いた画集「子どもたちは絵を描いて元気になった――阪神淡路大震災 子どもの心の記録」が出版された。親しい人の死や避難所生活に直面し、言葉にならない気持ちを表現した約80点を収録している。希望を取り戻すまでの心の動きがうかがえる貴重な記録でもある。
色彩心理の研究を行うボランティアグループ「空飛ぶ子どものアトリエ」(末永蒼生代表)が出版した。
末永さんらは震災直後の95年2月、兵庫県西宮市の小学校で「出張アトリエ」の活動を始めた。幼児・小学生に自由に塗り絵や落書きをしてもらい、「言葉にならない思いを絵で吐きだしてほしい」と考えた。東京・阪神地域の約50人のボランティアが神戸市、西宮市の学校や避難所にほぼ毎日出向いた。活動は翌年1月まで続いた。
震災直後の絵は真っ赤に燃える自動車や血を流す人の列など驚きや緊張、悲しみを表す作品が多かった。壊れた家屋ばかりを描いたり、ひまわりを黒や濃い緑色で表現したりする子供もいた。末永さんは「心の傷を思い知らされ、ショックだった」と振り返る。
色遣いに変化が表れたのはライフラインがほぼ復旧した半年後ころから。虹やカラフルな家の絵が増え、子供たちの心にようやく希望が芽生えたようだった。末永さんらは支援金の一部を使って700部を印刷した。「心がいやされる過程が驚くほど素直に表現されている。震災の一つの記憶として残したかった」と話している。
1部1500円。売上はすべて日本ユニセフ協会に寄付される。問い合わせはハート&カラー電話03・5474・7810。
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朝日新聞ニュース速報:阪神大震災をきっかけに制定され、被災世帯に最高100万円を支給する被災者生活再建支援法が適用された自治体で、全壊しても3分の1が支給対象外になっていることが朝日新聞社の調べでわかった。年収が比較的高いサラリーマン層の多い都市圏が被災した自治体で、農漁村部が被災した自治体に比べて支給実績が低い傾向がみられた。解体しなければ支給対象にならない半壊世帯では大半が不支給になっており、支援法が設けた年収制限や解体要件などにより、支援の網からこぼれる世帯が相次いでいる実態が浮き彫りになった。
支援法は1998年5月に成立、99年4月から本格的な運用が始まった。同年6月に集中豪雨に見舞われた広島県全域で初めて適用され、これまで岩手、愛知、広島、山口、福岡、熊本各県の計71市町村の被災世帯が「生活再建支援金」の支給対象になった。全半壊した3716世帯のうち、214世帯に総額約1億8360万円が支給されている。
このうち全壊世帯では、438世帯のうち191世帯に支給。見込みを含めても約280世帯で、支給対象は全壊世帯全体の約6割にとどまっている。
自治体別では、岩手県軽米町が25世帯のうち21世帯、熊本県不知火町が50世帯のうち40世帯など、8割以上の世帯に支給。軽米町は農業世帯が約3分の1を占めていた。不知火町では支給されたほぼ全世帯が漁業か高齢者世帯で、1人暮らしの世帯主が死亡したケース(7世帯)を除き、対象外になった2世帯はいずれも会社員が世帯主で年収オーバーだった。
これとは対照的に、市街地などが豪雨や竜巻で被災した広島市は78世帯のうち40世帯、愛知県豊橋市は52世帯のうち22世帯だけが支給され、住居が全壊しても年収制限などで約半数が対象外になっていた。
支援法の規定では前年の年収で判断するため、広島市ではリストラ後の被災者が対象外になる例や、結婚直後の世帯が独身時代の夫と妻の年収を合計すると制限を超えるケースがあった。豊橋市では、対象外になった全壊世帯の大半が年収オーバーだった。国土庁復興対策課は「比較的所得の低い地域で、支給実績が高いなど地域差がみられる」と分析している。
半壊世帯への支給実績は3278世帯のうち23世帯(見込みを含むと約60世帯)で、ほとんどが対象外だった。半壊の支給条件に「解体」が盛り込まれているのが大きな要因とみられ、都道府県に委託されて支給事務をしている被災者生活再建支援基金(事務局・東京)は「各自治体が当初見込んでいたよりも低いようだ。最高100万円の支援金を得るために解体する世帯が少ないからではないか」とみている。
支援法は、阪神大震災の被災地の市民グループが考案して超党派の国会議員が参院に提出した公的支援法案や、兵庫県などが求めた被災者支援制度制定の動きが実を結び、超党派の議員立法として成立した。
自然災害で住宅を失った被災者への現金給付制度では、支援法の付帯決議で阪神大震災の被災者にも相当する措置を講じるよう求めたのを受け、兵庫県と神戸市が出資する基金が被災者自立支援金制度を実施。昨年11月までに約14万世帯に総額1352億円が支給されている。被災者団体が実施した約1700人の調査によると
、同制度でも年収制限や半壊・解体要件によって支給対象外になるケースが相次いでいる。
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共同通信ニュース速報:神戸市中央区で開かれていた阪神大震災の復興状況を検証する兵庫県の「震災対策国際総合検証報告会」が十四日、委員三十四人の報告を終えて閉幕した。報告を踏まえ、座長の新野幸次郎・神戸都市問題研究所所長が十六日のシンポジウムで総括する。
「まちづくり」のテーマでは、伊藤滋・慶大大学院教授(都市計画)が「自宅再建に偏った関心の在り方が住民合意の妨げになる」と迅速に計画を進める必要性を強調した。
ケネス・トッピング元米ロサンゼルス市都市計画局長は、震災後の区画整理事業の内容に住民が反発、市側が計画を変えた例を紹介し「トップダウン方式が基本の日本としては『穏やかな革命』ともいえる出来事だ」などと評価した。
また端信行・国立民族学博物館教授(経済人類学)は「文化復興」をテーマに報告。国の重要文化財である建築物「旧山邑邸」(兵庫県芦屋市)が修復されたのに対し、修復のめどが立っていない「旧谷崎潤一郎邸」(神戸市東灘区)について「指定の有無が明暗を分けた」と指摘し、行政による費用補助の充実などを求めた。
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毎日新聞ニュース速報:誰もが死と隣り合わせで生きているということを教えてくれた阪神大震災から5年が過ぎようとしている。大震災をきっかけにクーローズアップされたのが、身近な人との死別を体験した子供の精神的ケアをする「グリーフワーク」。専門の講座を開講する大学も出てきた。【ICU・福田 育美】
死別を体験した子供達の精神的サポートを目的とした施設は、全国に二つある。1年前に作られた阪神大震災遺児のための「虹の家」と、昨年4月、東京都三鷹市のルーテル学院大の中に作られた「てとてとて」の部屋。毎週1回、首都圏から15人前後の子供が集まってくる。
同大では、ボランティアを希望する学生のための講座も開かれ、交通事故や病気などで、死別を体験した子供を対象に、精神的サポートの方法を学んでいる。
子供は、死別の悲しみを言葉で表現することが苦手なため、登校拒否などの行動をとったり、心身症などの症状に現れることが多い。また、自分が原因で、死を招いたのではという妄想に悩む子供も少なくないという。
グリーフワークは、遊びを通して、悲しみを表現させる方法を採用し、子供の不安感の軽減を図り、健康や精神面での問題を予防していく。子供が心を開く雰囲気を作るため、世話をする時の服装やおもちゃの種類についても、具体的に講義の中で示されていた。
受講している学生の1人は「死別を体験した子供に接する時、死に触れることはタブーだと思っていた。しかし、授業の中で、死と積極的に向き合う大切さを知った」と話している。
日本学術振興会の招聘研究者として来日した講師のシンシア・ホワイトさん。「身近な人との死別を体験した苦しみを、誰にも話せずにいる子供は多い。反対に、ボランティアに興味があっても、きっかけがなく始められない人もいる。両者を結び付けるためには、より多くの人が気軽にトレーニングを受けられる環境が必要」と訴えていた。 シンシアさんは、任期が切れ、昨年12月アメリカに帰国したが、講義は引き継がれている。
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毎日新聞ニュース速報:阪神大震災の被災者用仮設住宅の入居者が14日、ゼロになった。最後の1軒となっていた兵庫県明石市内の入居者が同日、同市内に新築した住宅に移転した。仮設住宅は兵庫県と大阪府に合わせて653団地4万9681戸が建設され、入居世帯は1995年11月のピーク時に4万7911世帯に上った。仮設住宅の使用期限は2年だが、住宅再建の遅れで数度にわたって期限延長し、震災から1824日目にようやく解消された。役目を終えた仮設住宅は既に99%が解体・撤去されており、今年度中にはすべてが姿を消す見通し。その一方で、仮設住宅に代わる災害復興公営住宅に移った被災者の支援や地域経済の浮揚などの課題が残っており、復興の道筋はまだ確かなものとはなっていない。
仮設住宅は、震災の3日後の95年1月20日に着工された。兵庫県民向けは同年8月までに同県内と大阪府内に634団地、4万8300戸が建設され、大阪府民向けは19団地、1381戸が建てられた。推計約9万人が入居した。
災害救助法に基づく仮設住宅の使用期限は2年以内だったが、厚生省は3度延長。最後の期限も昨年3月末に切れた。これに伴い、兵庫県や神戸市などは同年4月〜6月末までの3カ月間を恒久住宅への移行措置期間としたが、7月以降も653世帯が残った。県などは個別に移転先をあっせんするなどし、99年11月半ばには、残る全世帯の移転先が決定。12月20日には神戸市の入居者がゼロになった。
県によると、災害復興公営住宅などへの移転後も荷物を残す「倉庫利用」が6世帯残っており、各市町が明け渡しを求める手続きを進めている。
仮設住宅にかかった費用の総額は、建設費から土地の原状復旧費まで含め約1700億円にのぼる見通し。一方、再利用可能な住宅は国際支援で無償提供されており、1万1900戸が水害に見舞われた中国やトルコ、台湾大地震の被災地に送られることが決まっている。
仮設住宅では、兵庫県と大阪府合わせて235人の「孤独死」があったほか、高齢者らがお互いに支え合うコミュニティーや、ボランティア支援の大切さがクローズアップされた。
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共同通信ニュース速報:「まだ内装が完全ではないので、本音を言えばもう少し仮設で暮らしたい」
兵庫県内最後の仮設入居者となった同県明石市の無職森山正憲さん(47)の木造二階建て5LDKの新居は、三年半近くかけた手づくりだ。
森山さんは震災で自宅がほぼ全壊。両親は体調を崩し、病院で相次いで亡くなり、独身の森山さんは一人で一九九五年十月に近所の「高丘三丁目仮設」に入居した。
壊れた家を前に「早く平らな所で眠りたい」と言っていた母の声が耳から離れず、自宅再建を決意。「ほとんどの銀行から融資を断られ、どうせなら自分の手でつくろう」と専門書で勉強。必要な資格を取り、翌九六年九月から基礎工事に取りかかった。
ボランティアの学生に手伝ってもらったこともあったが、ほぼ独力で建築を進め、昨年末までに内装の一部を除き完成。
森山さんは「丸五年が近づくと、市や県の担当者が『完成はいつですか』と毎日のように様子を見に来ました」と苦笑い。「自宅再建で二重ローンを抱えた人も多い。仮設がなくなっても、問題がすべて解決したわけではないのに…」と首をかしげた。
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毎日新聞ニュース速報:阪神大震災の被災者を対象にした兵庫県の「生活復興資金貸付制度」が、今年3月末で打ち切られることが13日、分かった。実質無利子で1世帯最高300万円を融資する制度で、これまでの利用は約2万6000件、約490億円に上る。昨年1年間でも3500件以上の申請があったが、県は「仮設住宅から恒久住宅への移転も終了し、今後の申請は震災に起因したものとは考えられないと判断した」と説明している。
同制度は、年間所得が690万円以下で、住宅が全半壊の被害を受けた人が対象。生活資金や家財購入、家の修復など生活復興の支援を目的に1996年12月に始まった。全半壊(焼)のり災証明書を添え金融機関から貸し付けを受ける。1年間の元金据え置きが可能で返済期間は6〜7年。年利(3%)は阪神・淡路大震災復興基金の利子補給事業で賄われる。
昨年3月末が本来の期限だったが「利用者が多い」と1年間延長された。
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毎日新聞ニュース速報:阪神大震災の被災者が入居する災害復興公営住宅で、一人暮らしの入居者がだれにもみとられずに病死したり自殺するいわゆる「孤独死」が、昨年1年間で少なくとも37人に上ったことが13日、毎日新聞社の調べで分かった。1998年の27人から、さらに10人増加した。仮設住宅から復興住宅への移転に伴う入居者増によるとみられるが、半年以上も発見されなかったケースもあり、行政などは新たな支援策を迫られそうだ。
復興住宅で亡くなった入居者のうち、一人暮らしで兵庫県警が検視を行ったケースを各警察署の協力で集計した。
内訳は男性24人、女性13人。60歳代が12人と最も多く、続いて50歳代9人などで、30歳代も2人いた。死因は病死が25人、自殺9人、事故・不明3人。地域別では神戸市が7割強の27人を占めた。集計を始めた97年2月以降の孤独死・自殺者の合計は67人(男性47人、20人)になる。
発見時の状況は、近隣の住民や訪ねてきた家族、知人、自治体職員らが死後数日以内に気づく例が多い。しかし、神戸市中央区の復興住宅に住んでいた無職男性(61)は「3、4カ月前から姿を見ない」との通報で昨年5月、半年以上前に亡くなっていたことが判明。同年1月の須磨区のケースは、57歳の男性がふとんの上でミイラ化した状態で見つかった。
兵庫県によると、復興住宅は昨年末までに4万1114戸が建設され、被災した3万9750世帯が入居している。水道が長時間使われなかったり流しっぱなしになった時には自動的に福祉関係職員に連絡が入る通報システムなどが整備されているが、すべての住宅が対象ではない。仮設住宅と違って隣人と疎遠になるケースの増加が懸念されている。 【震災取材班】
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共同通信ニュース速報:賃貸オフィスビルの調査会社「生駒データサービスシステム」(東京)は十三日、阪神大震災で使用不能となった神戸市中心部のオフィスビル六十棟の再建状況が、今年一月一日現在で六○%(三十六棟)にとどまっているという調査をまとめた。
二年前の同様の調査と比べて二○ポイント(十二棟)増えたが、オフィス需要の減退や再建資金の調達難などから新規の再建計画が急減しており、再建率の伸びは鈍化している。
再建工事中のビルは三棟にとどまっており、残り二十一棟は、更地や駐車場などの形で暫定利用されている。
神戸市の昨年十二月の空室率は一六・二%。適正とされる五%を大きく上回っており、全国でも最悪の水準。同社は「現在の需給環境が続く限り、オフィスビルの再建は非常に緩慢な動きが続く」とみている。
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共同通信ニュース速報:一九九五年の阪神大震災で大きな被害を受け、一時は減少した神戸市など阪神間と淡路島の計五市六町の刑法犯の認知件数が九八年以降、震災前年の二万八千六百十八件を上回っていることが十三日、兵庫県警のまとめで分かった。
九九年は一―十一月までで二万八千二百三十九件で、前年同期と比べ千五百三十五件多く、上回るのはほぼ確実。同県警は「震災で市街地での人口が減少したことなどから、犯罪者の活動の場が減っていたが、復興に伴って増加に転じた」と分析している。
刑法犯の認知件数は、震災のあった九五年は、前年比約一五%減の二万四千二百九十三件となり、九六年も二万四千五百七十七件と二万四千件台で推移。しかし、九七年に二万七千六百十二件と増加に転じ、九八年には震災前年を上回った。
また生活経済事件では、震災に便乗した悪質商法など震災関連事件がこの五年間で計五十一件あり、九九年には、貸金業者が復興住宅の入居者に、法定利息以上の高金利で生活費を貸し付けた事件や、暴力団幹部が無登録で貸金業を経営、被災者に金を貸していた事件もあった。
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共同通信ニュース速報:神戸市は十三日、阪神大震災で市民が体験して得た身近なアイデアや知恵を集めた冊子「あのとき役立った私の知恵」を発行した。
冊子には「自転車の予備のキーを非常品に加えておく」「大切な物はふろおけに投げ込むと、火事でも大丈夫」など、震災を経験した市民ならではの知恵が約二百件掲載されている。
同市広聴課は「震災ではちょっとした工夫が大きく役に立った。実体験で得たものを災害対策に役立ててほしい」と話している。
発行部数は七千部。全国の自治体に配布するほか、希望者には郵送料(百八十円分の切手)だけで送る。申し込み、問い合わせは同課、電話078(322)5168。
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共同通信ニュース速報:住宅所有者全員が加入し、災害で自宅が壊れた場合に最高八百五十万円を支給する「被災者住宅再建支援制度」の骨子を、兵庫県と全労済協会、連合、日本生協連でつくる協議会が十三日発表した。国会議員の災害議連と連携しながら次期国会での法成立を目指す。
代表の山岸章・全労済協会理事長は「財源をめぐり大蔵省の抵抗
は強いが、最後は議員立法で決着をつける」と抱負を語った。
骨子の内容は(1)地震・噴火・津波と風水害が対象(2)個人拠出金と公的資金の基金で運営(3)全壊は一平方メートル当たり八万五千円、半壊はその三分の一を支給(風水害はこれらの半分)
(4)百平方メートル分を限度とする―など。
拠出金の額は「未定」としたが、協議会が委託した研究会は一戸当たり年間四千円程度と試算している。
阪神大震災の被災者への適用について、貝原俊民兵庫県知事は「今は制度化が最優先だが、おそらく政治の場でご判断いただけるのではないか」と期待を示した。
被災者への公的支援をめぐっては、自宅が全壊した高齢者らに最高百万円を支給する「生活再建支援法」が一九九八年に施行。兵庫県と大阪府が、震災被災者にも、ほぼ同額を支給したが「対象が狭く、額も不十分」との不満が強かった。
兵庫県が九五年から提唱していた最高千七百万円支給の「住宅共済構想」をベースにまとめた。また国土庁は昨年から委員会で住宅再建について検討しており、八月に結論を出す予定だ。
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毎日新聞ニュース速報:阪神大震災で被災した神戸市垂水区の無職、中園正一さん(62)が、市内五カ所の災害復興公営住宅に住む約2000世帯を対象に実施したアンケート調査が13日、まとまった。自らも復興住宅に暮らす中園さんは約1年2カ月をかけ、だれの力も借りずに1軒1軒を訪ね歩いた。アンケート結果からは「震災前より生活が苦しい」という回答が9割近くに上るなど、入居者の苦しい生活ぶりが浮かび上がる。中園さんは「同じ被災者だからこそ胸を開いてもらえた」と話し、アンケートを基にした要望書を兵庫県や市に提出する。
垂水区内で喫茶店を経営していた中園さんは、地震で店舗兼自宅が全壊した。アンケートのきっかけは1998年10月、復興住宅に入り、仮設時代の知り合いを訪ねた時の驚きだった。
90歳代の女性が、エレベーターから一番遠い5階の部屋に住んでいた。仮設のころは元気で買い物に行っていた別のお年寄りの女性は、入居数カ月でよちよち歩きしかできなくなっていた。「これが終(つい)の住まいなのか。何とかせないかん」。アンケート用紙を手に、ミニバイクや電車、バスで復興住宅を回り始めた。
「私も復興住宅なんです」と話しかけると、お年寄りたちからは我慢してきた思いがあふれた。さみしげな様子に「このまま帰ったら死んでしまうかもしれない」と案じ、半日がかりで悩みを聞くことも度々だった。「ドアの中で行政の助けを待っている」「山の中の団地に薬局、食料品店がなく、少ない年金でタクシーに乗っている」。1軒の家を辞する度に、多くの重い言葉を持ち帰った。
アンケートをまとめているさなかに、回答してくれた98歳の女性が孤独死した。飛び降り自殺したり、トイレで衰弱死した70歳代の女性も一人ずついる。
中園さんは「復興、復興と掛け声は大きいが、被災者の命はほったらかしにされている。『被災者の生きる道をつくってやれ』と県や神戸市に言いたい」と言う。中園さんは賛同者を募ってアンケートを広げていくつもりだ。 【西田進一郎】
中園さんのアンケートの質問項目は(1)被災場所(2)入居していた仮設住宅(3)復興住宅の生活(4)困っていること(5)自立支援金をもらったか(6)今望むこと――など9問。すべて答えた1019世帯分だけを有効回答とした。主な回答は次の通り。
「復興住宅の生活」=「震災前より苦しい」86%(872世帯)▽「震災前と変わらない」14%(143世帯)▽「震災前より楽になった」0・4%(4世帯)
「困っていること」(複数回答可)=「買い物が不便」80%(813世帯)▽「家賃が上がるのが心配」66%(676世帯)▽「交通費がかかる」41%(421世帯)
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毎日新聞ニュース速報:阪神大震災で親を亡くした遺児の約4割が、「死にたい」と思ったことがある――。「あしなが育英会」(本部・東京都)が神戸市東灘区で運営する震災遺児のケア施設「レインボーハウス」のアンケート調査でこんな結果が出た。さらに遺児の約9割が「今も何らかの悪影響が残っている」と回答しており、同ハウスでは「時間をかけて継続的な支援の必要性を痛感した」と話している。
アンケートは同ハウスが昨年12月、神戸市などに住む10〜25歳までの震災遺児46人と、祖父母を含む保護者23人に対して実施。遺児には震災後の気持ちの変化など14項目、保護者には子供の現状など24項目を尋ねた。
「震災後5年間でどのようなことがあったか」という問いには、「少しの物音や振動でびくびくするようになった」、「やたらとイライラするようになった」がそれぞれ54・3%と最も多かった。「親が亡くなったことを自分のせいだと思ったり、自分が死んで他の誰(だれ)かが生き残っていればよかったと思った」が52・2%いた。また「死にたいと思っ」と答えた遺児は39・1%に上った。
保護者への「5年間で子供たちにどのような言動が見られたか」という問いにも「集中力がなくなったり、すぐにあきらめるようになった」が73・9%でトップ。「暗い場所が怖くなった」が56・5%、「学校の成績が下がった」が43・5%を占めた。
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朝日新聞ニュース速報:被災地上空でのマスコミによるヘリコプター取材は人命にかかわる場合、一定時間自粛するか共同取材にする必要がある――。12日に神戸市であった震災対策国際総合検証会議の報告会で、検証委員の広井脩・東京大社会情報研究所長が提案した。阪神大震災では「ヘリの騒音で倒壊家屋の下敷きになった人たちの声がかき消された」などの批判が集中。一時は国の防災基本計画に取材規制を盛り込む案も浮上した。
報告に先立つ広井所長の聞き取り調査でも「救命救助の活動に非常な支障がある。共同取材などが考えられないか」(兵庫県)などの意見が出た。
広井所長は救助救援のためのサイレントタイムをつくるなど、「マスメディア自身が真剣に検討してほしい」と訴えた。
ヘリ取材について、日本新聞協会(新聞、通信、テレビ154社加盟)は1997年に「航空取材要領」を改定。飛行の安全確保と騒音防止などを考え、多数の取材機の飛行が予想される場合は、必要に応じ、代表取材・共同取材も視野に取材方法などについて事前協議をする、と定めている。また、加盟社の中で低騒音のヘリを導入する動きもある。
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共同通信ニュース速報:阪神大震災後に兵庫県外に移転した被災者は、県内に残った被災者に比べ、建物や家財の被害が激しい人が多かったことが京大防災研究所の調査で十二日、分かった。
分析した林春男教授(防災心理学)は「家が全壊した人は仮住まいが長期化しやすい。被災地だけではなく、国全体が支える必要がある」と話している。
報告書によると、被災者のうち県外に移転した人の建物被害の程度で最も多かったのは全壊(六八・二%)で、次いで半壊(二一・二%)、一部損傷(四・八%)の順。これに対し、県内に残った被災者は一部損傷(四九・一%)が最多で、半壊(二○・九%)、全壊(一四・八%)の順だった。
調査は、兵庫県などの委託で防災研が昨年三月、県内に残った被災者から無作為抽出した二千五百人と、県外に移転した被災者八百人を対象に実施し、回収率は二七・七%だった。
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共同通信ニュース速報:阪神大震災から十七日で丸五年を迎えるに当たり、神戸市の笹山幸俊市長が十二日、記者会見し「各分野でばらつきはあるが、全体として八割は復興した」と述べた。また、復興住宅のお年寄りらのケアにあたる支援員を拡充し、全市に展開する方針を明らかにした。
笹山市長はこの五年間を「あっという間に過ぎた感じだ」と振り返り「住宅は(震災前の)十割を超え、経済、雇用面では八割までいっていない」と、分野によって復興にばらつきがあることを認めた。
その上で「市民が安全に安心して暮らせる都市づくり」を目標に掲げ、施策のひとつとして「民間非営利団体(NPO)などと連携し、復興住宅の高齢者らをケアする支援員を拡充、全市的に展開したい」と語った。
経済復興については「短期間にできる妙薬はないが、人と情報の流れを生み出すような『用事のある町』にすることが必要」などとした。
また「区役所などと役割分担し、どう効率的にやるか、仕事のやり方を変えていかなければいけない」と行政システムの変革にも意欲を示した。
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共同通信ニュース速報:阪神大震災で全壊した文豪谷崎潤一郎の旧邸「鎖瀾閣(さらんかく)」(神戸市東灘区)の復元計画が、資金難から実現が危ぶまれている。研究者や地元住民らでつくる復元委員会が募金を呼び掛けてきたが必要額の一割も集まらず、目標の二○○○年中の着工は困難になってきた。
谷崎が自ら設計した和洋中の折衷様式でヒノキ造りの二階建て。谷崎は一九二八(昭和三)年の完成から約四年間を過ごし、その間に「卍(まんじ)」などを執筆した。鎖瀾閣の名は、作品中から同委員会が名付けた。「細雪」のモデルとなった東灘区内の「倚松庵(いしょうあん)」(移築公開)と並び、谷崎文学を知る上で重要とされる。
震災で全壊し解体されたが、谷崎ゆかりの家を残そうと九五年七月に復元委員会が結成された。同委員会は写真などを手掛かりに設計図を作製。神戸市が近くの公園内に用地を無償で貸与することも決まった。しかし復元費用九千万円のうち約五百万円しか集まっていない、という。
同委員会の顧問たつみ都志武庫川女子大教授(国文学)は「当時の谷崎の美意識が表現された建物。文化の灯を絶やさないよう募金してほしい」と話している。
募金の振込先は住友銀行岡本支店の普通口座190635で、口座名は「鎖瀾閣復元委員会」。
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共同通信ニュース速報:神戸市は十一日、同市が集計した阪神大震災関連の死亡者が二人増加し、四千五百七十一人になった、と発表した。消防庁がまとめる大震災での総死亡者数も二人増え、六千四百三十二人になる。
同市によると、二人は震災直後に死亡した中央区内の男性=当時(90)=と、昨年死亡した長田区内の女性=当時(68)。震災五年を前にした神戸市の集計で判明した。
昨年七月、遺族への災害弔慰金の給付が認定され、震災関連死に含められた。これまで男性は給付認定のための書類がそろわなかったため認定を受けておらず、女性は震災で大けがを負い、入院していた。
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毎日新聞ニュース速報:阪神大震災で被災経験のある新成人の4人に3人が、ボランティア活動への参加を希望し、過半数が福祉充実のまちづくりを志向していることが10日、毎日新聞のアンケートで分かった。阪神地域で開かれた成人式に出席した新成人100人に聞いた。6割が、震災で考え方や生き方が変わったとし、助け合った経験を生かしていこうとする人が大半を占めるなど、若者の未来への積極的な姿勢が目立った。
兵庫県の神戸市、芦屋市、西宮市の3会場8地点で、震災当時、被災地に住んでいた男女それぞれ50人を無作為に選び、分析した。
ボランティア経験のある人は36%だったが、成人を期に、今後ボランティア活動をしたいと答えた人は74%にものぼった。特に被害の大きかった神戸市では、男性の93%が希望。震災時で活躍したボランティア活動が一般に浸透していることの現れと推測される。
震災前の状況と比べた現在の復興段階は、平均で「約7割強」というとらえ方だった。復興後の都市が重視すべき点として、「文化」が23%、「経済」が21%、「福祉」が56%で、中でも「お年寄りや障害者も安心して暮らせる街づくりを」との答えが多く、「優しさ」が街づくりの最大のキーワードになっている。
また69%が、今でも家族や友人の間で震災の話をすると答え、震災の傷跡が残っていることを示している。 【震災取材班】
◇新成人のあなたにとって「震災」とは?
職業 性別 ひと言
学生 男 機械でなく人の力が不可欠と感じた
学生 女 その時は絶望でも、人々の助け合いを見た
学生 男 近所とのつながりが確認できた
学生 男 自分がいて社会が助かり、社会があって自分が助かるものと分かった
学生 男 人間は1人では怖い
留学生 男 山を削って埋め立て地をつくったことなどへの自然の怒り
学生 女 物事を自分に置き換え考える大切さを知った
公務員 男 あっという間に過ぎてしまったこと
学生 女 普段の生活の素晴らしさを再認識した
学生 男 人生の岐路。医師を目指す原動力
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朝日新聞ニュース速報: 阪神大震災で被災した兵庫県内の分譲マンション2532棟のうち、99%が昨年末までに建て替えや補修などを決めたことが、不動産情報会社「東京カンテイ」(本社・東京)の調査で明らかになった。マンションの再建には住民の合意をどう取り付けるかなど難題が多かったが、震災から5年でほぼ復興が終わったか、復興のめどがついたといえそうだ。
同社は震災直後の1995年3月、兵庫県内の全分譲マンション5261棟を調査。何らかの被害が確認された2532棟について復興の進み具合を追跡調査している。
2532棟の内訳は、致命的な損傷を受けた「大破」83棟、大規模な補修や建て替えを要する「中破」108棟、相応の補修を要する「小破」353棟、わずかに被害のあった「軽微」188棟。
このうち、すでに111棟が建て替えが完成しており、再建工事中の4棟を含めた115棟が「建て替え」という形で決着した。そのほかは圧倒的に補修が多く、2405棟と全体の95%占めている。再建せずに土地を処分したのは6棟だった。
一方、復興が定まっていない未決着のマンションは6棟だけとなった。このうち、5棟は建て替え決議の無効をめぐって係争中。残る1棟は同じ床面積では建て替えできなくなる「既存不適」の問題などで協議が長引いているが、建て替えに向けて進行中という。
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朝日新聞ニュース速報:阪神大震災の被災者が仮設住宅などから移り住んだ兵庫県内の復興住宅で、独り暮らしの人がだれにもみとられずに亡くなる「孤独死」や自殺がこの1年間で計38人にのぼっていることが8日、わかった。仮設住宅では230人を超える孤独死が社会問題になったが、転居先でも解決されていない。高齢者の割合が高く、将来の日本の高齢化社会の縮図とも指摘されている復興住宅。隣人の突然の死を見つめ、住民らは自治会などのコミュニティーづくりを通じて、助け合いながら生きるすべを模索している。
兵庫県内で被災者にあっせんされた復興住宅でのこの1年間の変死や自殺の件数を同県警で調べたところ、孤独死や自殺は38人で、前年の31人を加えると、2年間で69人にのぼることが確認された。この1年間の内訳は、孤独死が30人(前年28人)、自殺は8人(同3人)。年齢層は34―90歳で、65歳以上の高齢者は24人だった。県警では、既存の公営住宅の空き室に移り住んだり、検視されないこともあったりするため、被災者全体では、ほかにも確認できていない事例があるとみている。
神戸市中央区の市営の復興住宅で昨年5月、「何かにおいがする」という苦情がきっかけで、死後半年たった男性(当時61)のミイラ化した遺体が見つかった。数日前にできたばかりの自治会は緊急会議を開き、とりあえず「住民同士で出来るだけ声を掛け合おう」と申し合わせた。
同じ階に住んでいた自治会長の男性(52)は「顔も知らなかった」と話す。自治会はその夏、初めて祭りを開いて住民間の親ぼくを図った。冬になると、エレベーターを待つ人たちが「今日は冷えますね」と自然に声を掛けるようになったという。
神戸市垂水区の市営の復興住宅では昨年9月、独り暮らしの女性(当時77)が病気を苦に8階から飛び降りた。その翌月、女性(当時77)が自宅で倒れているのを発見されたが、大脳出血ですでに死亡していた。約1000戸あるこの団地にまだ自治会組織はない。
2人の葬儀が営まれた団地内の集会所の運営委員らは、昨年12月から1人200円の会費でカラオケ会を始めた。約30人が参加し、マイクを取りあう盛況ぶりで、新年もすでに2回開いた。
ホールもある集会所では、住民がだんらんできるような「ふれあい喫茶」を開くのが目標だ。ただ、仮設住宅で自治会長を務めていた男性(77)は「住民の葬儀で徴収する場所代の1万5000円が主な収入になっている現状が悲しすぎる。仮設の時のように助成金などがすぐに集まらないのが苦しい」と言う。
一方、神戸市灘区の県営住宅で書道サークルを世話する田中二三子さん(67)は「サークル参加者に孤独死は心配ない」と言い切る。「趣味と友人をつくろう」と月に2回、集会所でけいこやお茶会を開いて2年以上がたつ。今ではほかの住宅の住民も合わせ50―80代の約四十人が参加。編み物や旅行など別の仲間の輪も広がっている。
田中さんは「人に会うと思うと洋服を選んだり、化粧をしたりしようという心が引き立つんです」と話す。
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